くせになる車谷長吉の短編
先日友人に勧められて読んだ車谷長吉の短編集『忌中』に続いて、『金輪際』を読んだ。考えたら、本の題名が秀逸だ。忌中とか金輪際とか、こんな不吉で不快な題名はめったにないだろう。
2冊目となると、1冊目のような衝撃はない。それでも蘇る過去の忌まわしい記憶の連続に、思わず自分のことを振り返って慄然としてしまう。
本の題名にもなっている『金輪際』は、「この世に四十数年、生きていると、むかし親しくしていたのに、いつしか往き来の絶えてしまった人の数は多い」と書いて、その例として2人の話をする。といっても1人目は、「ぶす」の女性に親切を受けたが不義理をした短い文章だ。それから突然、小学校の時に東京から転校してきた澤田君という金持ちの少年の思い出になって、えんえんと続く。そして「金輪際会いたくない人である」と締める。
一番度肝を抜かれたのは、最後の『変』という本当に短い短編だ。「平成七年は、私の身には凶事(まがごと)の連続だった」で始まる。3月に会社を解雇されたのに始まって、心臓発作に次ぐ入院、叔父の死などが続く。もちろん阪神淡路大震災やオウム事件のことも書かれている。
そして芥川賞の候補に選ばれて、落選する。怒った「私」は翌日五寸釘を買いに行く。「私は2階で白紙を鋏で切り抜いて、九枚の人形(ひとがた)を作った。その人形にそれぞれ、日野啓三、河野多恵子、黒井千次、三浦哲郎、大江健三郎、丸谷才一、大場みな子、古井由吉、田久保英夫、と九人の銓衡委員の名前を書いた」。そして天祖神社で人形に五寸釘を当てて、「「死ねッ。」「天誅ッ。」と心に念じながら打ち込んで行った」。
普通はこんなことは書かない。もちろん本当にやったわけではないだろうが、こんなことを平気で書いて発表する人は、本物の常識外れだ。自分がいろいろカッコつけながらも、結局は常識を守って生きてきただけに、こういう常識外れには無限に憧れる。
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