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2011年11月 3日 (木)

『ポエトリー』の緻密さ

2月公開のイ・チャンドン監督『ポエトリー アグネスの詩』を見て、不思議な感動をおぼえた。前作の『シークレット・サンシャイン』は、個人的にはその強引な展開やあまりの生々しさがどこかなじめなかったが、今回は妙にストンと来た。

前作同様の生臭さというか、猥雑な感じはある。そのうえ、突然詩を習い始めたりする主人公の65歳の女性の心理はどこか不可解で、中盤まではどこを見ていいのかわからない。ところがそれがだんだん平仄が合ってきて、映画が終わるところで、ピタリと決まる。

65歳なのに上品でオシャレな主人公、暴行事件に加わるその孫、暴行されて川に身を投げる娘、その娘の母、主人公が介護する「会長」、あるいは詩の朗読会で卑猥なギャグを飛ばす刑事など、主要人物たちがある種の宿命のようなものに導かれ、いやおうなしに動き出す。それぞれの情念が、表情や体の動きのひとつひとつに現れて渦を巻く。

主人公は物憂げにシャワーを浴び、カラオケに若い男を誘い、「会長」の欲望にこたえる。そして夜中に孫や刑事とバドミントンをする。言葉にできない思いが盛り上がり、身体的にねっとりと伝わってきそうだ。

『母なる証明』といい、『息もできない』といい、最近の韓国映画の秀作は、一見何も考えていないように見えて、脚本が実に緻密に練られている。またそうした傑作が1本生まれた。

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