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2011年11月15日 (火)

車谷長吉が嫌う「贋物西洋生活」

車谷長吉を勧めた友人が、まず短編を読んでから長編を読めと言ったので、その通りに2冊短編集を読んで、それから長編『赤目四十八瀧心中未遂』を読んだ。これはしびれた。会社員を辞めて、尼崎のアパートの一室でモツを串に刺し続ける男が主人公だ。そこで出会う世の中から外れた人々。

セックスを「まぐあい」と書くように、すべての気取った言葉を捨てて、生々しい語彙だけを使っている。主人公のそばに住む彫師の男は言う。「生島くん、きみ一遍アヤ子のおめこさすってやってくれんかの。豆がうずうずしとるが。わしの指がさわったら、豆はきみにさすって欲しい言うて、いそいそしとったが」。この言葉は何度も主人公の頭をめぐる。

たぶんこの作家にあるのは、普通の生活への呪詛なのだろう。
「ピアノの上にシクラメンの花が飾ってあって、毛のふさふぃさした犬がいる贋物西洋生活。ゴルフ。テニス。洋食。音楽。自家用車。虫唾が走る。あんな最低の生活。私の中の『中流の生活』への嫌悪感。この嫌悪感はまだ半ば無意識の世界にひそんでいるものだった。それがこの六年半の流失生活によって、徐々に表面に洗い出されてきた。と同時にも一つ洗い出されて来たのは、かつては私も一度は、この芦屋川の両岸に見るような、忌まわしい『中流の生活。』に憧れていたということではないか。……あれは私の原罪だ。罪悪感の源だった」

車谷の言いたいことは、ほぼこの文章に尽きている。自分のような「贋物西洋生活」をしている者にも、その「罪悪感」が残っているからおもしろいのだろう。もちろん私の生活には、ピアノもゴルフもテニスも自家用車もないが、「贋物西洋生活」であることは間違いない。

「贋物西洋生活」という言葉はしばらく残りそうな気がする。昔、パリでフランス語を話す松浦寿輝に対して、作家の中上健次が「猿みたいによく話すなあ」と言ったという話をなぜか思い出した。

そういえばこの小説をもとにした同名の映画があったが、今思い出すとこの小説の毒も罪悪感も全くなかったように思う。

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