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2011年12月19日 (月)

そうだったのか、裸体画は

天気が良かったので、散歩がてら竹橋の東京国立近代美術館に「ぬぐ絵画 日本のヌード1880-1945」を見に行った。これが実におもしろかった。池上彰ではないが、「そうだったのか、裸体画は」とうなずきたくなるような、目から鱗の内容だ。

明治から敗戦までの65年間に渡って、日本において裸体画がどうような変遷を遂げてきたかが、実にわかりやすく展示されている。驚くべきは解説文の多さで、あちこちの壁に文章が書かれていて、それらを読んでいけば、そうだったのか、とわかる仕組みになっている。

浮世絵に見られるように、日本にも裸体画の伝統はあったが、美という抽象的観点から裸体画を描き始めたのは、フランスに留学した黒田清輝だった。彼はフランスで人物描写教育を叩きこまれて帰国する。東京美術学校で教え始めた黒田は、ヌードモデルを学校に導入し、裸体画を「まじめに」鑑賞できる観客を増やそうと奮闘する。警視庁は彼の絵の下半身に布を巻いたり、掲載した新聞や雑誌の販売差し止めをしたりする。裸体画を高貴なものとして描こうとする黒田の闘いはすさまじい。

黒田に学んだ萬鉄五郎になると、ゴッホやマチス風に裸体画を自由に壊し始める。あるいは中村彝のように日常的な女性を描いたり、古賀春江(会場のパネルには「ちなみに男性です」と書かれている!)のように未来派風に描く。

そのあたりでびっくりしたのは、甲斐庄楠音(かいのしょう・ただおと)の二枚の日本画だ。一枚は、片手を大きな乳房に当て、もう一つの手を恥部に当てて上気で汗ばんでいる感じは、自慰の最中としか思えない。もう一枚は、まるで性交の後のようにけだるく、恥毛まできちんと描かれている。実はこの画家は名前も知らなかったが、もっと知りたい。

後半は「もう一度、はだかを作る」と称して、安井曽太郎や梅原龍三郎、小出楢重らの絵が並んでいる。一番びっくりしたのは、小出の絵の構図がすべてマティスにそっくりだったことで、隣に参考図版としてマティスの絵の複製が並べられているのでよくわかる。

一言で言うと、日本の裸体画の変遷は、西洋絵画をいかに定着させるかの歴史だったのだと痛感した。見終わって思わずカタログを買った。単行本のような小さな判型だが、文字がぎっしり。蔵屋美香という学芸員の著作と言うべきだろう。しばらく楽しめそうだ。展覧会は1月15日まで。
常設展も駆け足で見たが、こちらも「ぬぐ」絵画、彫刻、写真、版画を所蔵品から意識的に並べている。

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