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2011年12月 1日 (木)

プラハに向かう飛行機で読むクンデラ

友人へのメールにプラハに行くと書いたら、「『存在の耐えられない軽さ』のようにならないように」と返事があった。1988年公開のこの映画は当時見ていたが、映画館で買った原作は読んでいなかった。今回、いい機会だと思って、リュックに詰めた。

原作小説は、チョコ生まれのミラン・クンデラ。現在はパリに住んでいるが、現存作家で唯一プレイヤード版全集に収められているという巨匠だ。

読んでみて、映画とはずいぶん違うと思った。まず、小説には「プラハの春」とその後のソ連の弾圧が、大きな背景としてあるが、映画ではあまり印象に残っていない。主人公の外科医トマーシュと恋人のテレザが、悩んだ末に混乱のプラハを逃れてチューリッヒに行くところが、彼らの恋愛の発展の大きな要因となる。もう一人の恋人のサビナはジュネーブへ行くし。「ロシアの侵入は単に悲劇であったばかりでなく、不思議な(そして、けっして誰にももう説明できないような)幸福感に満ちた憎悪の祭典だった」。

トマーシュはプラハに戻ったテレザを追いかけて、プラハに戻る。そしてスパイ活動の容疑を受けてトマーシュは職を失い、窓拭きの仕事を始める。後半、トマーシュはテレザと田舎で暮らし、サビナはパリを経てアメリカに住む。

映画で強調されているトマーシュの異常な女好きぶりと、地方でウエイトレスをしていたテレザのトマーシュへの純愛は、この政治的状況を抜きにしては語れないが、映画ではそれが単に「セックスに憑りつかれた男女」のように描かれていたように思う。

もう一つ抜けているのは、小説の哲学的側面。なんせニーチェの永劫回帰の重さの解説から始まる。テレザは重荷を背負って生き、サビナは軽さを追求する。「サビナに落ちてきたのは重荷ではなく、存在の耐えられない軽さだった」。最後に田舎町でテレザがトマーシュに「あなたの人生で出会った不幸はみんな私のせいなの」と言うと、トマーシュは答える。「僕には何の使命もない。お前が使命を持っていなくて、自由だと知って、とても気分が軽くなったよ」。これは私にも少しわかる気がする。

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