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2011年12月23日 (金)

森田芳光は「職人監督」か

森田芳光監督が61歳で亡くなった。水曜の朝からニュースが出ていたようだが、忙しくて知ったのは夕方だった。私にとっては金正日の死よりもショックだった。朝日新聞夕刊には「作風の幅が極めて広い職人監督」と書かれていたが、違和感があった。

1980年代、私が大学生の頃、20代の監督が次々とデビューした。森田芳光、大森一樹、石井 聰亙、長崎俊一たちが8ミリで作った作品をぴあフィルムフェスティバルに出して、すぐに劇場用長編を手掛けていった。彼らが集まって、ディレクターズ・カンパニーなる会社を立ち上げた時は、本当にまぶしかった。

彼らは海外にもどんどん出て行った。日本の若手が続々と海外に出たのは初めてだった。そのなかで、森田芳光は一番ポップだった。ほかの監督たちが全共闘や学生映画のノリを残していたのに比べて、森田はデイレカンにも加わらず、『家族ゲーム』や『それから』などの新感覚映画で、トップランナーになった。

その新感覚は『阿修羅のごとく』や『わたし出すわ』にも続いていたと思う。どの映画にも森田らしいセンスが光っていて、「職人監督」とはちょっと違うような気がする。

そういえば2月18日に公開の石井(聰亙改め)岳龍監督の『生きてるものはいないのか』を見た。これまでの石井の映画と違って会話で見せる展開に違和感はあったが、彼のロック魂のようなものがあちこちに埋め込まれている怪作だ。最後に題名が出てきた時に、監督自身が「生きてるものはいないのか」と叫んでいる気がした。

それにしても、『生きてるものはいないのか』には、切実なものが欠けている気がする。何のためにこの映画を撮ったのか。少し前に見た大森一樹の『世界のどこにでもある、場所』にも同じようなものを感じた。2人とも大学教授だが、それと関係があるのかどうか。それにしてもこの2つの題名は、説明くさくてどこか似ている。

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