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2011年12月18日 (日)

アジェの写真の魅力

東京都写真美術館で1月29日まで開催中の「ストリート・ライフ ヨーロッパを見つめた7人の写真家たち」展を見て、アジェの写真が異様に浮き上がって見えた。アジェ以外には、ブラッサイやアウグスト・ザンダーのように私にお馴染みの写真家もいれば、ジョン・トムソンやトーマス・アナンのようによく知らない人もいる。

ウジェーヌ・アジェはもちろん、前から何度も見ている。十年ほど前にこの会場で開かれた大きな個展も見た。しかし、このようにほかの同時代のドキュメンタリー写真と並べると、その非凡さが際立つ。

一言で言うと、人間が写っていないことがすごい。肖像写真でなくても、街の中に生きる人々を撮れば、それなりのヒューマニズムが写り込む。ところが、アジェの誰もいないパリの写真は、そうした人間の影がない。彼の写真はパリの建物の意匠を記録する。キャバレーの入口だったり、凝った館の正面玄関や中の階段だったりする。入口のドアノックだけを拡大したものさえある。あるいは公園の彫刻や霊柩車。

これらがちょっとピンクがかった鶏卵紙にプリントされたのを見ると、何かしら落ち着かなくなる。そこに何か霊のようなものが立ち上っている。シュルレアリストたちが彼の写真を「犯行現場」と呼び、ベンヤミンに絶賛されたのがよくわかる。

昨日、自宅のまわりを歩いていて、老舗の蕎麦屋や数年前にできたイタリア料理店に閉店の告知が貼られているのを見た。もうすぐ改装されてしまうかもしれない。新しい店舗ができると、もう前に何があったかわからなくなってしまう。これは写真を撮らないといけない、と思ってしまった。アジェの影響かもしれない。

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