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2011年12月20日 (火)

甲斐庄楠音:続き

昨日、「ぬぐ絵画」展で見た甲斐庄楠音(かいのしょう・ただおと)について「名前も知らなかった」と書いたら、数時間後にパリに住む友人からメールが来た。この画家は古賀重樹著『1秒24コマの美』の溝口健二の項に出ているという。

その本はここでも取り上げたのでさっそく繰ってみると、『芸道一代男』以降の溝口作品8本の時代考証を担当した人だった。そこにはかつて京都画壇の期待の星だったが、所属する国画創作協会のリーダー、土田麦僊にある絵を「きたない絵」と言われて画壇を追われたと書かれてあった。「男色趣味などの生活態度が不評を買ったともされる」。自ら女装した写真もあるという。

そうなると興味がさらにわく。図書館で、1997年に京都国立近代美術館などで開かれた「甲斐庄楠音展」のカタログを見た。すると、悪魔のような女性像がどんどん出てきた。女の情念やうらみつらみをとことんまで描いている。「悪魔主義、耽美主義、退廃主義」と評されたらしい。今見ても、やり過ぎだと思うくらいだ。土田麦僊のような清楚な女性を描く画家が、「きたない絵」と言ったのもわかる気がする。

そんな女性の描き方が、溝口の映画で生きるとは何という巡り合わせだろう。愛や運命に苦しんで生きる女を描き続けた溝口との、ぴったりのコンビだ。考えてみたら『歌麿をめぐる五人の女たち』は、甲斐庄の世界だ。

古賀氏の本に戻ると、甲斐庄は新藤兼人にこう言ったらしい。「普通の人はぼくのことを気味悪がる。でも映画の人たちだけはぼくを仲間のようにみてくれた」。カタログの巻末には関わった映画全28本のリストがあり、溝口以外にも伊藤大輔や田坂具隆、衣笠貞之助などの大監督たちの衣装や時代の考証をしていることがわかった。映画史に残る人だった。

このカタログには、映画に関わりだしてからの絵画はない。昭和16年から、一気に昭和52年に飛ぶ。52年の絵にも、かつて描いたような乳首と乳房の大きな女がいたのが印象に残った。

カタログには、何とも繊細そうな彼の写真が載っていた。女形を演じているところを撮った写真も何枚もある。あるいはモデルとなった女性たちの写真もある。展覧会で見た裸婦のモデルらしい写真もあって、そっくりなのに驚いた。甲斐庄楠音(かいのしょう・ただおと)という名前は、しばらく後を引きそうだ。

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