シュヴァンクマイエルの自宅に行く
今回の出張はプラハ芸術アカデミー映像学科での国際会議に出席することが目的だったが、この種の催しにはかならず、「エクスカーション」と称する観光がついている。通常は貸切バスに乗って郊外の映画スタジオを訪ねたりすることが多いが、今回はグループに分かれて、歩いて市内を案内してもらった。
グループは、「はじめてのプラハ」「プラハ芸術アカデミーのすべて」など10近くもあるメニューから事前に選ぶことになっていた。私が選んだのは「プラハのシュルレアリスム」。案内してくれたのは、ヤン・シュヴァンクマイエルのプロデューサーでもある映像学科の先生だった。昔から東欧のシュルレアリスムは気になっていた。
市内電車に乗って、城の裏側のあたりで降りる。そこから小さい道を下ってゆくと、「ここはかつて死刑場があったところです」。チェコでは死刑もシュールかと笑いが起こる。そしてその隣を指さし、「ここはシュヴァンクマイヤーの自宅兼ギャラリーです」。思わず声があがった。驚いたのは、シュヴァンクマイヤー本人がそこから現れてみんなに手を振った時だ。腰を抜かしそうになった。小柄で毛糸の帽子をかぶった優しそうな老人。彼は自宅1階のちいさなギャラリーにみんなを招き入れて、「これが『サヴァイビング・ライフ』のデッサンです」などと説明を始めた。
シュールなオブジェやデッサンがところ狭しと並んでいた。おもしろかったのは、アフリカの彫刻がいくつもあったことで、彼のインスピレーションの源の一つだと言っていた。自宅の2階からは2つの顔の形をした彫刻が突き出ている。シュヴァンクマイエルとその奥さんだという。1968年の「プラハの春」直後にソ連の戦車が来た時、彼はその2階に「想像力に力を」という垂れ幕を掲げたという。
それから彼と共に、プラハ城のあたりを歩く。映像学科の先生が現在のチェコにおけるシュルレアリスム活動について説明していると、シュヴァンクマイエルがじっと一人でプラハの街並みを眺めていたのが印象的だった。それから彼は行きつけのレストランにみんなを連れて行った。豚の丸焼きや、ソーセージなど、チェコらしい料理が運ばれてくる。幾種類ものチーズとバターと玉ねぎの千切りを時間をかけて混ぜて、パンにつけて食べる料理が妙においしかった。シュヴァンクマイエルはかなりの健啖家のようだ。
しばらくすると彼は突然立ち上がり、「それではみなさんごゆっくり」と手を振ると、すいすいと歩いて消えてしまった。なんだか夢のようだった。
それから私は、スーツケースの鍵が壊れたので、それを求めて街を彷徨った。実はこの3日間いつも気にかけていたが、どこにも売ってなかった。ところがその日は、歩き出したとたんに急に眼の前に大きな金物屋が現れて、鍵が見つかった。これもまた夢のようだった。
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