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2011年12月 8日 (木)

本当のことを言おうか:「映画の多様性」は誰のためか

最近は「多様性」=ダイバーシティという言葉は流行だ。「〇〇の多様性のために」と言えば、まあ間違いない。だから「映画の多様性のために」などと言うと、実はうさんくさい。とどのつまり、てめえが見たい映画が見られなくなるのは困るという話じゃないか。

個人で見る分には、外国映画なら簡単にDVDが買える。今後はネット配信も容易になるだろう。全世界で個人用に課金して配信できれば、映画館やテレビなどを介さずに、製作者は資金を回収できる仕組みができるのではないか。つまり、ゴダールの映画を見たい人が世界に10万人いれば、1回1000円として1億円が回収できるはずだ。日本では日本語字幕をつけるサービスが必要だが、従来の劇場用の宣伝費などに比べたら、たいした金額ではない。日本で1万人が50円追加で払えば、50万円となって楽に字幕はつけられる。

それでも映画館で見たい、という気持ちはわかる。どんなに画面が大きくなっても、映像がクリアーになっても、自宅で見るのと映画館に行くのは大きな違いがある。映画を見ることが、社会的行為となるからだ。いつ、どの映画館で誰と見たかというのは、何を見たかと同じくらい大事だ。みんなが自宅で映画を見るようになったら、たぶん映画は滅びてゆく。

そもそも個人用配信は、もともと映画にくわしい人向けであって、若い人は選びようがない。映画館に行くにしても、シネコンが8割を超す現状では、若い人がアート系の映画を見る可能性は低い。大学で教えていて思うのは、大学生の多くがユーロスペースやイメージフォーラムのようなアート系の映画館を、「キモイ」と思っていることだ。みんな豪華なシネコンが大好きだ。

映画の多様性という時、私のような中年が出てきて、80年代から90年代のミニシアター全盛時代をもう一度、というのは「キモイ」。そんな世代は自宅でDVDか配信映像を見ていればよい。ポイントは、若い人が多様な映画を見たい、そして自分でも作りたいと思うような環境かどうかにかかっている。これは意識的に作らないと、本当になくなってしまう。

そのためにはどうしたらいいか。「東京フィルメックス」のような映画祭はそのために、大きな貢献をしているだろう。しかしイベントだけではだめだ。とどのつまり、「教育」しかない。私のように大学で教えている人間は、大学に入ってからある程度は「洗脳」できる。しかし、もっと大きいのは、その前、つまり小学校から中学、高校までだ。週に1度でも古今東西の映画を見せることができたら、と思う。その仕組みはどうしたら作れるのだろうか。これについては長くなるので、後日書く。

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コメント

専門家にいうのもなんなんですが。
映画館で映画をみるという行為は家でみる行為と違ってわざわざそこに行き、上映中に見るのをやめて外へ出るためにはそこそこプレッシャーがあるという環境の違いがありますね。
さらに大音量、大画面という特性もあります。ドライブインシアターになると半分自宅、半分映画館の様に思えます。(いったことないけど)
無理やりそこに投げ出されるというのは実は現代に特有の状況で、日本では満員電車やデパートの中、高速道路の渋滞などがあります。その不自由な状態で人間が単位時間あたりも最も多くの情報を処理できる
視覚と聴覚にある程度の時間を浴びせられるのが映画ですから、相当暴力的なものですね。
家でテレビやDVDをみていると ちょっとトイレとか、お茶でも飲もうかとすぐ中断してしまいます。
そういえば録画できないころのテレビは自分が若かったせいかもっと真剣にみていた気がします。
要するに実は映画は比較的高価であることに その存在意義の一つはあったのではないでしょうか。
芸術系の映画なんかDVDはやめておいて、入場料3000円くらいにして上映すればよいのではないでしょうか。いっそ弁士でも復活させますか。
何かの参考になれば・・・・、。雑文失礼しました。
料理大好き

投稿: 料理大好き | 2011年12月 8日 (木) 11時49分

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