渋谷が田舎だった頃
先週土曜日から毎日、人込みをかき分けて渋谷に通っている。大学のゼミ企画「映画祭1968」が始まったからだが、空いた時間に近くの渋谷区立松濤美術館で「渋谷ユートピア 1900-1945」(昨日終了)を見て驚いた。描かれた渋谷は、牧歌的な田舎ばかりだったからだ。
当時の渋谷、原宿、恵比寿、代々木はいわゆる芸術家村だったようだ。菱田春草、岸田劉生、岡田三郎助、村山槐多、竹久夢二、国木田独歩、与謝野晶子などがあちこちに住んでいた。そして彼らが描く渋谷の風景は、どれもこんもりと木々が茂る田舎ばかりだ。
展覧会の始めに、菱田春草の《落葉》(1909)がある。武蔵野としかいいようのないこの静かな木々の風景は、何と代々木らしい。岸田劉生の《赤土と草》(1915)も代々木を描いたものだが、草茫々の中にようやく道を作った感じがよく出ている。
時代を下って、畦地梅太郎の《エビス》(1938)や恩地幸四郎の《明治神宮 新東京百景》(1929)などは少し都会らしくなっているが、それでもあちこちに林が見える。同じ新東京百景シリーズで前川千帆の《渋谷百軒店》は震災後の復興した都市の人々を描いたものだが、それにしても建物は3階建てがせいぜいだ。
展覧会の後半の代官山の同潤会アパートやハチ公像関連の展示も面白かった。それにしてもいったいいつから、渋谷は武蔵野という郊外でなく、都市の中心になったのだろうか。
先日、久しぶりにDVDで映画『珈琲時光』を見て驚いたのは、2003年に台湾のホウ・シャオシェンが描いた東京が、雑司ヶ谷、大塚、神田、御茶ノ水、有楽町だったことだ。外国人の彼にとっては、かつての山の手や都心の方が魅力があったのだろう。若者でごった返す今の渋谷や原宿や青山には、興味が持てないということか。
東急文化村の近くの店で、化学調味料が一杯のちゃんぽんを一人で食べながら、そんなことを考えた。
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