路面電車の心地よさ
昨年末に行ったプラハと岡山は、妙に懐かしい感じのする、ヒューマンスケールの心地よい街だった。後から、そこには共通するものがあったと思い立った。路面電車である。
路面電車に乗って、プラハ城の方に登って行くのは気持ちよかった。かつて、福岡に市電があったのは覚えているが、東京のあちこちに都電があった時代は知らない。現在では荒川線だけだ。台湾のホウ・シャオシェン監督が日本で『珈琲時光』を撮った時、一青窈演じる主人公を雑司ヶ谷駅のそばに住む設定にして、何度も荒川線が出てきたのを思い出す。
原武史の『「鉄学」概論』をめくっていたら、「都電が消えた日」という章があった。都電は67年から72年にかけて廃止され、荒川線だけになったという。1930年代から60年代まで40系統を越す路線図はほとんど変わっていない。漱石の『それから』(1909)のラストは、主人公の代助が飯田橋で電車に乗って「ああ動く、電車が動く」と言う場面があるが、既に東京にはもう路面電車があったという。
路面電車がなくなったのは60年代から地下鉄ができ始めたからで、モータリゼーション、つまり車社会を推進するためだ。20世紀初頭から営々と作られ、戦争を超えて生き延びたのに、5年くらいであっという間になくなった。路面電車のいいところは、もちろん乗り降りが楽なこともあるが、もっと大きいのは景色が見えることである。地下鉄の半蔵門駅や桜田門駅を通っても、実際の皇居は見えない。この地理感覚の喪失は大きい。原の本にはだいたいこんなことが書かれている。
もう一つおもしろいことが書かれていた。路面電車が残っているのは西日本が多いという。岡山以外に、大津、大阪、堺、広島、松山、高知、長崎、熊本、鹿児島。個人的に広島や高知、長崎、熊本の路面電車はよく覚えている。どこも気持ちのいい街だった。たぶん、効率化だけではないものを求める心が住民のなかにあるからだろう。とりあえず、久しぶりに荒川線に乗りたくなった。
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