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2012年1月26日 (木)

アンゲロプロス追悼

昨朝10時頃、テオ・アンゲロプロスが亡くなったニュースをネットで知った時は、ずいぶんショックだった。「神さまがいなくなった」という感じがした。もちろん、アントニオーニとか、ロメールとか、大監督が亡くなった時はそれなりの感慨はあったが、私にとってこの人は別格だった。

1980年代前半から半ばにかけて大学生活を送った私が、突然映画に目覚めたきっかけとなった映画が2本あった。アンドレイ・タルコフスキーの『ストーカー』とテオ・アンゲロプロスの『アレクサンダー大王』。もちろん封切りで、地方都市にできたばかりの80席ほどのミニシアターで見た。

別に何がわかったわけでもないだろう。ただ、こんな映画が存在するということがショックだった。『ストーカー』は、そのまま座席に残ってもう1回見たし、『アレクサンダー大王』は別の日にもう一度見に行った。好きな監督は、と言われると、得意そうにタルコフスキーとアンゲロプロスと答えたものだ(邦画だと、『陽炎座』を見てから鈴木清順になった)。

今考えると、2人の監督は西洋の辺境の地に留まりながら、だからこそ見える風景を描くことが、映画の最先端の表現を生み出していたのだろう。とにかくこの2人の映画は、その後新作が公開されると必ず見に行った。しかし大学生の時のような衝撃はなかった。2人の映画がだんだんわかりやすくなるのが、なんだか裏切られているような気がした。

タルコフスキーはイタリアで『ノスタルジア』を、スェーデンで『サクリファイス』を撮って亡くなった。アンゲロプロスは、『シテール島への船出』以降、次第にギリシャを離れてゆく感じで、俳優もマストロヤンニとかハーヴェイ・カイテルまで出るようになった。それでも驚異の長回しは見せてくれるし、必ずとんでもない力業の美しいシーンがあった。

「神さま」を2度見たことがある。一度はパリのシネマテークで『シテール島への船出』のプレミア上映があった時の舞台挨拶。強いギリシャ語なまりのフランス語にがっかりした記憶がある。客席から写真を撮ったはずだ。2度目は、何と夕食の席だった。自分が企画した映画百年のシンポジウムで、会場にいたアンゲロプロスに司会の蓮實重彦氏が声を掛けて舞台に上がってもらった後のことだ。

彼は自分も映画の起源をめぐる映画を撮ったとして、『ユリシーズの瞳』について語ったと思う。銀座のフランス料理店の夕食の席で、彼はひたすら映画の話ばかりをして、横にいた美しい夫人を呆れさせていた記憶がある。この時の彼と一緒の写真があるはずだが、どこにいったのだろうか。

彼の死のニュースをネットで知った直後に、知り合いの新聞記者からこのことを知らせる携帯メールが来た。彼も私と同世代だから、『アレクサンダー大王』にショックを受けたのだろうか。

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