原弘のポスターから日本の映画ポスターへ
竹橋の東京国立近代美術館で「ジャクソン・ポロック展」を見たついでに、常設展会場で見たのが「原弘展」。2階の小さなコーナーだが、そこには天井までびっしりとポスターが並んでいた。
常設展会場だが、そこには原弘の旧蔵品を所蔵する特種製紙のコレクションも多数展示してある。三島の特種製紙まで行かなくても見られる貴重な機会だ。
東近美が今のフィルムセンターの場所に開館したのは1952年だったが、原弘はそれから23年間もそこのポスターを展示している。今回の展示はそのポスターが中心だが、おもしろいのは「指定用紙」までその横に展示してあることだ。つまり、文字を指定し、紙見本や色見本を貼り付け、「濃いスミをべったり」などと指示が書いてある。今のようにコンピューター上で見られるのではなく、結果を想像して指定をしていた時代の、天才的なカンの跡を辿ることができる。
写真と文字を生かし、デザイナーの自己主張をしない端正で清潔なデザインは、バブル前の日本人が持っていた謙虚さのようにも見えて、心が洗われる思いだ。5月6日まで。
一方、京橋のフィルムセンター(考えてみたらここも東近美)の展示室で見た「日本の映画ポスター芸術」展は、百花繚乱と言おうか、何でもありの派手な世界だ。重なっている時代もあるのに、原弘の国立美術館用のポスターのクールさとは対極の自己主張ぶりは、映画ポスターならでは。
戦前の河野鷹思のモダニズムから、戦後ポスターの金字塔『大人はわかってくれない』の手書きポスターで有名な野口久光、それから粟津潔や横尾忠則の昭和元禄的なド派手の世界。個人的には、粟津がゴダールの『中国女』や『東風』のために描いた、青や赤の散りばめられた極彩色のポスターが妙に好きだ。こちらは3月31日まで開催。
そういえば、銀座の大日本印刷のギャラリーで田中一光展もやっている。粟津と同世代の端正な田中の世界も見たくなった。
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