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2012年2月 4日 (土)

革命の映画の系譜:ドキュメンタリー

「映画祭1968」では12本の映画が上映されたが、何といっても同時代のドキュメンタリーが一番おもしろかった。初めて見た『日大闘争』『続日大闘争』及び『死者よ来りて我が退路を断て』、四半世紀ぶりに見た『圧殺の森』と『パルチザン前史』。

『日大闘争』『続日大闘争』は、『圧殺の森』や『パルチザン前史』と比べた時に、明らかに演出の意図が薄いことがわかる。バリケードやデモや大衆団交といった事件の時にカメラを向ける。だからブツブツで始めもなければ終わりもない。音は途切れたり、アフレコがうまくいっていなかったり。芸術学部が中心だが、誰かを追うわけでもない。それでも断片の中から、学生の思いが伝わってくる。火炎瓶を投げていいのかといった議論。

『日大闘争』の盛り上がりは、神田の道一杯に広がるデモだろうか。あるいは両国の日大講堂における大衆団交。古田会頭に迫る学生。紙吹雪が舞う中で、講堂の床に気持ちよさそうに寝そべる学生。

『続日大闘争』は、大衆団交の「勝利」が幻だったことがわかり、東大闘争との連携や街頭での機動隊との衝突に向かう。大きな教室の集会も、人が集まらない。出だしは体育会系学生を並べて糾弾する場面。胸に番号まで付けて、ちょっとひどい。芸術学部のヘルメットはいつの間にか黒に統一されていて、戦闘的になる。

路上の敷石をはがして、投石用の石を作るシーン。盾を持った機動隊は、捕まえた学生を自らの前に押し出して、投石よけにする。あんまりだ。東大闘争を応援することに疑問を持つ学生。全体に寂しい感じが強くなっているが、餅つきのシーンやダンスのシーンもある。

『続日大闘争』で機動隊の突入がきちんと撮影されているのは、郡山の工学部のシーンだ。学部長の顔を何度も正面から捉えたり、時計台に立てこもる学生への放水を克明に撮ったり、この位置に学生はいられないだろうというショットがある。上映後、当時撮影した方のトークで、それが土本典昭監督からもらった部分だということが判明したのはおもしろかった。その後『パルチザン前史』でトークをした撮影の大津幸四郎さんに、ひょっとして郡山に行かなかったかと聞くと、それはなかったと言われたが。

ナレーションがなく、文字だけで構成しているのもいい。当時は、撮影してはそのラッシュをバリケードの中で上映したという。まさにゴダールの言う「シネ・トラクト」、つまりアジビラ映画だ。

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