『別離』の巧みさに舌を巻くも
4月公開のイラン映画『別離』(アスガー・ファルハディ監督)の巧みさには舌を巻いた。ちょうど一年前のベルリン国際映画祭で、金熊賞と銀熊賞(男優賞、女優賞)を独占し、アカデミー賞でも外国語映画賞のみならず、ペルシャ語作品ながら脚本賞にもノミネートされているだけのことはある。
冒頭はパスポートのコピーを取るシーン(コピー機の側から撮影!)に始まって、男女が写る。離婚調停のようだが、調停者の顔は見えず、男女は正面を向いて言い分を述べる。このシンプルで非凡な出だしから、映画はこの夫婦の危機がさらに多くの人間模様の渦を生み出すさまを描く。
妻と別居を始めたナデルは、認知症の父親のために親戚を頼って女性ラジエーを雇う。父親の失禁の世話までするまじめなラジエーだが、家を空けた時に父親はベッドから落ちており、帰ってきたナデリは怒る。口論の末、アパートから追い出されたラジエーは、倒れて気を失う。病院に運ばれたラジエーは流産をしており、それに怒ったラジエーの夫が告訴したことから、二つの家庭全員を巻き込んだ裁判が始まる。
ここまでは普通に物語が進むが、裁判の審議が進むにつれて、双方の小さな嘘が少しずつ明るみに出てくる。証言者の内容も二転三転し、何が真実かわからなくなる。それぞれの子どもや親も含めて、一人一人の心の襞が見えてきて、だんだん恐ろしくなる。そこに名誉を重んじ、男女を隔離するイスラム特有の文化も絡まってくる。
人々の間を縫うように駆け巡るカメラが素晴らしい。とりわけ窓やガラスの向こうを撮った流麗なショットは、人々の息遣いを伝えるようだ。家の中や病院、街角のどんな雑音も取り込んでゆく音響構成も繊細極まりない。そしてラストの窓の割れた車に乗る3人や、その後の家庭裁判所のシーンは、一生忘れることができないだろう。
気になったのは、この映画を見て(同じ監督の前作『彼女が消えた海辺』がそうだったように)、「イランも先進国と同じ悩みを抱えているんだ」と思う観客(や評論家)が多いだろうということだ。女性は社会に進出し、老人介護が問題になり、誰もが裁判に訴える姿は、一見欧米や日本と変わらないように見える。
しかしジャファール・パナヒは映画撮影を禁じられ、バフマン・ゴバディは海外渡航ができず、キアロスタミはイタリアや日本で撮影しているのが現在のイランだ。そんな中で「先進国と同じイラン」を見せる映画だけが撮影を許可され、海外の映画祭に出品できたのではないか勘ぐってしまう。それでも傑作だからいいのだが、気になってしょうがない。
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コメント
この映画も撮影禁止の危機があったのはご存知でしょうか?
このブログの下方に記事引用があります。
http://blog.goo.ne.jp/barriosmangre/e/bc0d1b81e59b3e63ef6b50feaa85ffa2
わたくしもすでにこの映画を見ておりますが掛け値なしの傑作であると感じております。
(匿名ですみません)
投稿: とおりすがり | 2012年2月10日 (金) 12時48分