昭和天皇の戦争責任
サントリー学芸賞というのはいつも気になる。これまでもおもしろい著者にいち早く賞を出してきたからだ。学問的な裏付けがありながら、一般にわかりやすく新しい視点を打ち出したような本が多い。というわけで今年受賞の古川隆久著『昭和天皇』を読んだ。
副題に「『理性の君主』の孤独」とある。これまで昭和天皇は、平和主義者であったか、戦争責任はあったかという議論がさんざんされて来たけれど、この本を読むととりわけ第二次大戦中の彼の考えや行動が、数多くの資料のなかから浮かび上がってくる。
一言で言うと、あらゆる段階で彼は戦争回避や終戦の道を探っていた。しかし、結果として議会や世論を気にして敗戦の宣言を出すのに、時間がかかってしまった、ということだろう。つまり平和主義者だったが、戦争責任はある。
「まとめ」の部分を引用する。
「儒教的な徳治主義と、生物学の進化論や、吉野作造や美濃部達吉らの主張に代表される大正デモクラシーの思潮といった西洋的な普遍主義的傾向の諸思想を基盤として、第一次世界大戦後の西洋諸国、すなわち、政党政治と協調外交を国是とする民主的な立憲君主国を理想としつつ、崩御に至るまで天皇としての職務を行った/唯一の例外が1940年から45年7月までの時期である。昭和天皇は、内外の政情や思想状況、側近の顔ぶれがあまりにも変化して孤立してしまい、自信の政治思想の正当性に自信が持てなくなってしたっていた」
例えば、天皇は「天皇機関説」に賛成だった、というような興味深い記述があちこちに出てくる。そしてそれらが側近や政治家の記録や日記で証明される。「自分の花は欧州訪問の時だった」と22歳の時のことを、その後何度も何度も語る天皇にいささかシンパシーを持ってしまった。
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