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2012年3月31日 (土)

わずか150年前の日本

時間が空いたので、恵比寿の東京都写真美術館で展覧会を2つ見た。「フェリーチェ・ベアーとの東洋」展と「幻のモダニスト 堀野正雄」展。ともに5月6日まで開催しているが、2つを続けて見るとおもしろい。

フェリーチェ・ベアトはイタリア系英国人で幕末の日本を撮った写真が有名だが、今回の展覧会はロスのゲッティ美術館所蔵作品によるもので、日本の前のインドや中国、日本の後に行ったビルマなどの写真があるのが珍しい。

しかし興味深いのはやはり彼が20年ほどを過ごした幕末から明治初期の日本だ。彼の写真に見える1960年代から80年代、つまり今からわずか150年前の日本は、とにかく草茫々の田舎で、貧しくて野蛮だ。顔を洗っていないのではないかと思うほどみんな色が黒い。金持ちもいたはずだが撮っていないのは、帝国主義的な視線があるからかもしれない。つまりあえて文明から遠い姿を映して、西洋人を喜ばせる発想だ。

それでも山から見た江戸や横浜のパノラマ写真を見ると、日本の街並みは美しかったと思う。長崎の貧しい家だって、全体として調和に満ちた世界だ。下関事件の英国兵や生麦事件の現場など、一級の歴史資料も興味深い。

堀野正雄の写真は、1920年代から1930年代のモダンな東京の姿を映す。わずか50年で日本はこんなに変わったのかと思うほど、人々の顔は明るく、身なりはおしゃれだ。《映画会社の女子事務員》(1936-38)という写真は、オフィスの窓際に立つ最先端の働く女性を撮ったもので、80年代と言われても信じるほど現代に近い。《女学生の行進、ガスマスク行進、東京》(36-39)や《四年後のオリンピックをめざして外国語を勉強する芸者たち》(40)などは、むしろ未来の写真のようだ。

この展覧会を見て、今の日本は明らかに1930年代の延長線上にあると思った。1860年代から1930年代までの日本で、いったい何が起こったのだろうか。

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