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2012年3月11日 (日)

田中真澄さんが亡くなった

映画史家(と書くと本人は嫌がるだろう)の田中真澄さんが昨年末に亡くなられて、昨日「偲ぶ会」があった。「小津安二郎全日記」など画期的な本を残した人だ。私は田中さんと特に親しいわけではなかったが、仕事の上でお世話になったので出席した。

原稿をお願いしたことが2度あった。1度目は依頼後に企画自体が途中でポシャり、準備を無駄にされたはずだ。それが申し訳なくて何かお願いしなくてはと考え続けて、数年後にようやく機会があった。いただいたのは「日本映画が記憶したドイツサイレント映画の時代」という題の文章。いま読み返してもおもしろい。この時に2度ほどお会いしたが、いつも「微苦笑」で、この依頼を喜んでおられるのか、嫌がられているのかよくわからなかった。

「偲ぶ会」では親しかった方々が、彼の思い出を代わる代わる語った。その中で「在野」とか「愚直」とか「飄々」という言葉が何度か出てきた。それを聞きながら、ようやくわかった。私の生き方は、たぶんそれらの言葉の対極にある。つまり、「寄らば大樹」で「要領」よく、「融通無碍」。だから田中さんは私のことを苦手に思われて、微苦笑されていたのだろう。

とにかくフィルムセンターを始めとして、並木座、大井町、三茶アムスなど、珍しい映画をやるところならどこでも見た。そしてロビーで煙草を吸いながら、同じような映画狂の人々と話しておられた。偲ぶ会で、「フィルムセンター最多有料入場者」を自認していたと誰かが話していた。アテネフランセで小津について講演をした終わりに、「小津が今人気なのは嬉しいけど、日本映画には同じくらい重要な監督がいっぱいいるんですけどね、例えば田坂具隆とか」と語ったという。

ある時私は招待券をもらってオペラ公演に行くと、そこでも彼の姿を見て驚いた。その思考の射程が、自分には到底想像できないほど大きかったように思う。今後、あの微苦笑の表情を思い浮かべるたびに、自分の軽佻浮薄な日々を反省するだろう。

200人以上が集まった。著名な評論家の方もいた。弟さんや妹さんや姪御さんが挨拶した。姪御さんは挨拶の最後に彼が好きだったという「月の砂漠」を小さなオルゴールで鳴らした。彼は孤独に見えたが、決してそうではなかった。
先日ここに書いた田中三蔵さんは63歳、田中真澄さんは65歳で亡くなった。天使のような田中さんが、立て続けに飛び立ってゆく。

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コメント

ブログの文章を読ませて頂きました。有難うございます。
私も昨日参加しておりました、田中と高校の同級生の松本と申します。今更ながら田中の文章をなるたけ全部
読みたくなりました。古賀さんが書いておられた、サイレント映画に関する田中の文章は何に掲載されておりますか?ぜひ読みたく、お教えいただければこうじんです。
よろしくお願いします。

投稿: 松本潔 | 2012年3月11日 (日) 23時31分

松本さま
コメントありがとうございます。田中さんにお書きいただいたのは、「ドイツ時代のラングとムルナウ」という2005年の映画祭カタログで、書店では販売していませんが、ネットの「朝日イベントプラス」から購入可能(1600円)です。

投稿: 古賀太 | 2012年3月12日 (月) 08時50分

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