« 『ヒューゴの不思議な発明』のパンフ問題 | トップページ | 女に逃げられるという天才的才能 »

2012年3月 6日 (火)

アート・ドキュメンタリーの難しさ

3月31日に劇場公開される『はじまりの記憶 杉本博司』を見た。現代美術作家の杉本博司をめぐるドキュメンタリーで、テレビマンユニオンが制作してWOWOWで放映したものに撮り足して、劇場用に仕上げたという。おもしろかったが、同時にアート・ドキュメンタリーの難しさを感じた。

アート・ドキュメンタリーといえば、昔、ポンピドゥ・センターが所蔵している映像で、マティスが絵を描くシーンを撮った作品やボナールが川で泳ぐ場面のある作品があって、ひどく興奮した覚えがある。しかし現代では、芸術家の映像は珍しくない。草間弥生でも安藤忠雄でも、その映像は至るところに溢れている。

このドキュメンタリーの映像は洗練されている。杉本の毎日をカメラは控えめに追いかけ、彼の言葉を拾い、時おりミニマルで品の良い音楽が鳴る。杉本自身もシンプルな服を着て、ぎらぎらせず、かっこいい。しかしその「美化」された映像にどこか違う、と思ってしまう。

映画館を撮った写真シリーズも、水平線のシリーズも、杉本本人の解説が入ると、作品を初めて見た時のような感動は遠ざかる。「美化」された映像とナレーションにどこかウソを感じてしまう。直島の護王神社は、実を言うと実際に見てどこか違うと思ったが、この映像を見ると、実物よりずっとよく見える。地下の通路から海が遠くに見えるカットなんて、出来すぎだ。

おもしろい現代美術は、どこか毒を持つ。「美化」に向かう映像は、その毒をどこかで中和し、わかりやすい何かに変えてしまう。そしてそれはもはやコミュニケーションであって、アートではない。美術が映像に頼り、映像が美術に頼ると、その結果はマイナスになってしまうことがあると思う。

杉本の作品で一番好きなのは、直島にある水平線の写真シリーズ。水平線を撮った写真が並べてあり、それを見ていると、窓がある。窓から見える同じ高さの本物の水平線の向こうの島に、ほぼ同じ寸法で写真が一枚見える。これを見た時は愕然とした。どうやって何百メートル向こうの立体の大きさを調整したのだろうか。

|

« 『ヒューゴの不思議な発明』のパンフ問題 | トップページ | 女に逃げられるという天才的才能 »

文化・芸術」カテゴリの記事

映画」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/537538/54150974

この記事へのトラックバック一覧です: アート・ドキュメンタリーの難しさ:

« 『ヒューゴの不思議な発明』のパンフ問題 | トップページ | 女に逃げられるという天才的才能 »