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2012年3月25日 (日)

『影の部分』の影の部分

秦早穗子著『影の部分』(リトルモア刊)を読んだ。何とも言葉にし難い複雑な思いに浸りながら、読み終えるとすがすがしい気分になった。「複雑な」という意味はいろいろだ。

まず、この本は明らかに秦さんの自伝的な内容だが、小説仕立てだ。本人らしき人物の名前は「荻舟子」。そのうえに舞台は東京とパリをほぼ交互に行き来する。そして時系列順ではなく、記憶の赴くままに、小さい頃の戦前の思い出から、21世紀の東京まで行きつ戻りつする。

ゴダールの『勝手にしやがれ』をラッシュで買い付け、この題名を付けた秦さんの戦後史の華やかな部分については、古賀重樹氏や高崎俊夫氏のインタビューなどでおおむね知っている。それにご本人にも時々お会いし、直接お聞きした話もある。

読みながらそれらの記憶も同時に動きだし、落ち着かない読書になった。そのうえ、パリの通りの名前や「関口パン」といった固有名詞からは、私の記憶も蘇る。そもそもこの本自体が、秦さんの細部の記憶の積み重ねだ。そこには佐藤春夫やジャック・タチのような有名人と過ごしたひと時の記憶もあれば、幼い頃の両親や友人との時間もある。

さて、華やかでない「影の部分」はあったのか。あったような、はぐらかされたような。それでも細部の集積からは彼女の凛とした生きる意志が浮かび上がる。とりわけフランス人を前にした時の、敢えて痩せ我慢をするような態度。それはたぶん、明治の日本人が突如世界に対峙していった時に持っていたものだろう。19世紀末にアメリカに留学した祖父と日本に洋裁を広めた祖母を持つ秦さんが受け継いだ矜持だ。

そのような強さと共に、秦さんの情の濃さを感じさせる場面も多い。モンマルトルの丘の安ホテルの女主人との交流やマルセル・ジュグラリスとの1995年の南仏での再会などなど。もちろん時々出てくる妹たちへの強い思いも。

読み終えても、どこか夢のような詩的光景がいくつも広がる。『影の部分』にもさらに「影の部分」が広がっているようだ。何の脈絡もなく、檀一雄に「あなたもいい加減に、お父さんを許しておあげなさいよ」と言われるシーンが出てくる。こうした細部を楽しむために、またこの本を手に取ることだろう。本の終わりには「第一部 了」と書かれている。60年代以降の「第二部」も早く読みたい。

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