女に逃げられるという天才的才能
昨秋に出た四方田犬彦著『ゴダールと女たち』を読んだ。帯に書いてあった「女に逃げられるという天才的才能」という言葉に惹かれたからだ。本を開けると、最初のページにこの言葉が大島渚のものだと書かれている。
「ゴダールはよほど自己変革してゆくことを重んじている人間にちがいない。アンナ・カリーナに続いてアンヌ・ヴィアゼムスキーもまたゴダールのもとを去ったと聞いて、私はああ女房に逃げられる才能もあるのだと言って感嘆したのだが、この一見自己変革しそうな顔付をした二人の美女は、自己変革を迫るゴダールのしつこい目付に耐え切れなくなって逃げ出したのであろうと思う」
正直に言うと、この本を読み終わっても、この大島渚の引用が一番おもしろかった。もちろんジーン・セバーグからアンナ・カリーナ、アンヌ・ヴィアゼムスキー、ジェーン・フォンダ、からアンヌ=マリ・ミエヴィルに至るゴダールの女たちを、彼以外との活動も含めて詳細に描いているので、どの章も楽しく読めるのだが。
もっともジーン・セバーグとジェーン・フォンダとは男女関係がなかったと思うので、すべて「ゴダールの女」というのは語弊があるかもしれない。アンナ・カリーナとアンヌ・ヴィアゼムスキーについては最近来日しているので、四方田氏が実際に会っており、何でも明るく話す開放的なカリーナとゴダールについて言葉を濁すヴィアゼムスキーの対比が興味深い。
ヴィアゼムスキーについては、ブレッソンの時と同様、一冊の本を書くのだろうかと四方田氏は疑問を投げかけているが、それはこの本が書かれた直後にフランスで出版されている。昨年末の仏週刊誌『ヌーヴェル・オブセルヴァトゥール』で紹介されている"Une annee studieuse"(勤勉な一年)がそれだ。
その記事よれば、近づいたのはヴィアゼムスキーの方だ。『男性・女性』を気に入ったし、これを作った監督も好きだ、という手紙を彼女から送る。そして最初のセックスの時、ゴダールがいかに優しく自分に本当の快楽の世界を開いたかを語っている。あるいはトリュフォーと初めて会った時「あんな幸せなジャン=リュックは見たことがない。ありがとう」と言われる。誰か早く全文を訳してほしい。
本に戻ると、四方田氏は今もゴダールと一緒に住むアンヌ=マリー・ミエヴィルが、ほとんどゴダールの共作者であるのに、彼女の評価が低いことを嘆く。確かにもう40年も過ごしていて、『勝手に逃げろ/人生』以降の商業映画への回帰から、『映画史』を経て現在までを支えたのだから。四方田氏はドゥルーズ=ガタリのようなものだと書くが、そうなのかもしれない。私もこれはあまり考えなかった。
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