西さんが亡くなっていた
1980年代から90年代にかけてフィルムセンターに足しげく通っていた頃、常連の客のなかに、「西さん」と呼ばれる耳の大きなおじいさんがいた。この頃にシネフィル黄金時代を過ごした人なら思い当たるだろう。彼が1999年に亡くなっていたことを知ったのは、先日の田中真澄さんを偲ぶ会に出た時だ。
その時に『素敵な日じゃないか』という15分ほどの映画が上映された。1990年に撮られたもので、戦前の小津のパロディのような、たわいない映画だったが、そこに往年の西さんが出ていたのだ。この映画を上映したのは、田中真澄さんが2秒ほど眠る教師役で出ているという理由だったが、西さんはほとんど主役級で、元男爵の借金取りを演じていた。
とにかくよくしゃべる人だった。若い人と外国人が好きで、外国人を見かけると英語で話しかけた。当時の噂では、金持ちの息子で一生映画を見て暮らしているということだった。彼が死んでいるとわかったのは、偲ぶ会で配られた資料に、田中真澄氏による西さんを偲ぶ文章が再録されていたからだ。本名が西侃一郎ということが初めてわかった。
これは1999年7月号の『キネマ旬報』に載ったもので、同じ常連だった田中氏が西さんに閉口した様子がおかしい。「おしゃべり、目立ちたがり、有名人・外人・英語大好き。大いにヘキエキさせられたものだ」。やはり私の印象と同じだ。「業界人でも文筆家でもないから全国区の人ではないが、東京地方区に限れば、この人を知らずして真の映画ファンにあらずと断言できる、有名な“西さん”だった」。
「70年代の旧京橋フィルムセンターは、何と異様な場所だったことか。ロビーに蟠踞するえたいの知れない人々。映画好きという一点に於いて開かれた、年齢も氏素性も社会的地位も度外視して対等にわたり合う、マニアックな無名者たちの梁山泊。西さんも私もどうやらその中核に位置していたらしい」。自分がフィルムセンターに通ったのは80年代以降だが、この雰囲気は覚えている。
この文章によれば、西さんは貿易会社の重役だったらしい。ちゃんと仕事をしていたのだ。学生だった私は彼ら常連さんたちを見て、「ああなってはいけない」と日々考えていた。その恐怖感があったから、普通の就職をしたのだと思う。今から考えてみると、田中さんはその後多くの本を出し、西さんは会社役員だったわけだけれど、当時はまさに異様な集団に見えた。
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