大学の役割
昨日の「朝日新聞」夕刊の藤原帰一氏コラム「時事小言」の「大学の役割」という文章に、軽い衝撃を受けた。彼は立教大学の吉岡知哉総長が大学院の卒業式で語った言葉を引用しながら、東北大震災と原発事故が、大学が本来の役割を果たしてこなかったことを露呈したと書く。
吉岡総長は「本来の役割」とは「考える」ことであり、それは「既存の社会が認める価値の前提や枠組み自体を疑うという点において、本質的に反時代的・反社会的な行為」と言ったという。
まず、大地震ととりわけ原発事故が起きてしまったことに、大学が何もできなかったことを恥じる、という発想に驚く。つまり、大学はそれを避ける知恵を提示すべき立場にあったはずだと言うのだ。本当の知識人とは、こういう考えをするのだ。藤原氏は書く。「『いまあるもの』ではないものを現実につくることは不可能なのか。その検討こそが『考える』ことでお給料をいただくという特権に恵まれた大学教員の責務だろう」。
原発事故についていろいろ考えることはあったが、芸術系の大学で教えているせいもあってか、教員としての自分の仕事を結び付けて考えることはなかった。自分は「考える」という責務を負っているという発想に、気が引き締まる。
「考える」とは「反時代的、反社会的」というのもいい。あらゆる可能性を提示することが、「考える」ことなのだ。何だかわからないが、勇気が出てきた気がする。
ところでこの文章の半分は吉岡総長の挨拶の内容からなる。思わずネットを調べると、全文が掲載されていた。吉岡総長は最近の大学が社会の要望に応じて「『考える』ことよりもすぐに役立つスキルや技術に特化してきたこと」を危惧する。
ところで私は昔、吉岡総長にお世話になった。四半世紀以上前のパリのことだ。吉岡さんは政治学の若き助教授として、さっそうとトレンチコートを着てパリの街を歩いていた。そして私と同じく映画ばかり見ていた。包容力のあるあの表情は、今の写真で見ても変わっていない。私のことは覚えておられますか。
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