すばらしい小説とくだらない映画の週末
この週末は、水村美苗の小説『母の遺産 新聞小説』を読み、映画『テルマエ・ロマエ』を見た。水村の新作は期待通りにすばらしく、フジテレビ製作の映画は予想以上にくだらなかった。
実は『テルマエ・ロマエ』は少し期待していた。それなりにおもしろいという友人がいたし、何より先週末までの16日間でほぼ30億円の興収というのには、何かあると思った。見たのは日比谷シャンテの日曜5時の回だが、200人ほどのキャパで15分前には満席だった!
映画としては、何も見るべきところはなかった。こんなくだらないものを、ローマのチネチッタまで行ってお金をかけて作っているのかと思った。主人公阿部寛を始めとして、出てくる変な俳優たちの顔を眺め、ゆるいギャクのようなセリフの連続を聞いているのは、おかしいと言えばおかしいが。
それにしてもなぜ当たっているのか。私には、震災後の自信を失った日本人が、冗談でもいいから日本の現状を自慢する夢を見ているような気がした。誇り高き古代ローマ人が、現代日本に現れて、その豊かさに驚嘆する。とりわけローマの浴場を設計している男にとって、日本の風呂は驚きの連続だった。壁の富士山の絵、風呂桶、ジャグジー風呂、トイレのシステム、温泉卵、オンドル、等々。日本の日常はこんなに便利で進んでいる、それをローマ人が、褒めたたえ、真似をしているという図である。
そして古代ローマのシーンは、外国人が群衆のエキストラで、主要人物はすべて日本人が演じる。それも「濃い顔」の役者を揃えて。そこではもちろん全員が日本語を話す。日本の温泉のおやじたちが数名古代ローマに紛れ込んでも、彼らは言葉にも困らず、ローマの戦場にオンドル付きの温泉を作るべく、一生懸命に働き、完成させる。そしてラストのローマ神殿に集う巨万の群衆を前に、ルシウス=阿部寛は皇帝=市村正親から賛辞を述べられる。このあられもない日本人中心主義。
これは、震災後の新しいプチ・ナショナリズムではないか。今のままの日本人、外国語も話さないし世界情勢も見えていないが、とにかく勤勉で生活に便利なガジェットばかり作りだす日本人を、もっと褒めて欲しい、そんな居直り半分の希望に見えてしょうがない。温泉は、その居直り的快楽の象徴だ。
傑作『母の遺産』については、後日書く。
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