『桐島、部活やめるってよ』の不穏さ
8月11日公開のこの映画の試写状をもらった時から、不穏な感じはしていた。実を言うと、同名のベストセラー小説があることさえ知らなかったが、題名とビジュアルから、何か普通の邦画とは違うものが伝わってきたので、早めに見に行った。
結果は予想通り、問題作だった。あるいは、問題さえ見つからない変な作品だった。映画は金曜日から火曜日までのある高校を描く。それも授業ではなく、放課後のだらだらした時間を。
金曜日の同じ時間が異なる視点から4回も繰り返され、どうも桐島がいなくなったことが問題らしいことがわかる。異なる視点といってもガス・ヴァン・サントの『エレファント』のように、一人づつの視点から、端正にまとめられたものではない。むしろ現実が微妙にずれてゆく感じ。登場人物もやたらに多い。
それから、桐島の不在を背景に、土、日、月と数人の高校生たちの日常が描かれる。桐島の所属するバレー部の試合、映画部の撮影、吹奏楽部やバトミントン部。中心人物を欠いた高校生たちの隙間を、空虚な時間が流れてゆく。
最後は火曜日が2回見せられる。吹奏楽部はワーグナーの「ローエングリン」を演奏し、映画部はゾンビ映画を撮り始める。そこに桐島を探す高校生たちがぶつかる。情熱とはほど遠い、透明で不可思議なカオスが広がる。
高校生間の優しく残酷な言葉のやりとりを見ているうちに、私が日頃大学生たちに感じる雰囲気とそっくりだと思った。携帯とメールやネットでつながる今の若者の恐ろしいほどの心理戦を、それにふさわしい映像言語で語った怪作だ。
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