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2012年5月13日 (日)

清水宏の即興的おもしろさ

清水宏監督の『按摩と女』(1938)を再見して、またまた驚いた。温泉町の数日間の淡い恋をスケッチ風に描いただけの64分の小品だが、これが即興のようで抜群におもしろい。

物語らしい物語はない。温泉町に一人で来た都会の女(高峰美枝子)。子連れのこれも都会の青年(佐分利信)。観光地を回る按摩のコンビ。按摩の1人も、都会の青年も、そして彼の連れた子供も、母を求めるように女の後を追う。数日たって、青年と子供が去り、さらに数日後女が去る。それだけ。

青年は、毎日子供と「今日は帰ろうか」と相談しながら、女の魅力に押し留められるように一日一日帰る日を伸ばす。女は、なぜそこにいるかもいつまでいるかも明らかではない。按摩は女と一緒に温泉に入れると勘違いしたり、少年と河で泳ごうと裸になったりするところを女に見られたりする、滑稽な役柄だ。

時おり、高峰美枝子のバストショットが写る。温泉町の中に立つ高峰の鮮烈な姿と思い詰めた表情。人生に何の目的もないといった風情の佐分利信のやるせない笑顔もそれに混じる。女が青年や按摩と話し出すと決まって「つまんねえや」と言い出す少年。

傘を持った女のショットが、少しずつ小さくなって3回挿入されたり、逃げる女と按摩の足だけがどんどん大きくなって3回出てきたりする編集の鮮やかさには、溜息が出そうだ。

1938年といえば、国家総動員法の年だし、前年が盧溝橋事件で日中戦争は本格化している。そんな時にこんな呑気で優雅な映画を撮っていたとは。現代から想像する「戦時」とは、明らかに違う空気があったはずだ。

清水宏は早撮りと言われ、生涯163本を撮った。同じ1903年に生まれた小津は54本だ。この映画も数日のロケで撮ったという。こんな即興のような映画だけでなく、もっと練った脚本の映画を1本でも残していたらと思う。同じ松竹で小津と同年と言うのが災いしたのか。

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