戦後史を読む:『叙情と闘争』
元西武百貨店オーナーの堤清二という人に対しては、特別な感情がある。私は1980年代の「セゾン文化」に「乗せられた」、あるいは「騙された」と思っている。その張本人がこの人だ。彼が「読売新聞」に連載していた『叙情と闘争』が文庫になったので、さっそく読んだ。
確かにこの人が西武を池袋駅の貧相な「武蔵野デパート」から、一流の百貨店にした経緯は書かれている。だが、それは誰に会ったというようなエピソードばかりで、どのような経営の舵取りをしたかが、およそ見えてこない。
80年代からの「セゾン」の「文化戦略」にしても、田中一光、武満徹などの名前がきら星のごとく出てくるが、そこに彼の意志がどう作用したかは見えない。それは90年代後半以降のセゾンの没落についても同様だ。何が悪かったのか、彼はどのような手立てをしたのか、すべてが霧の中の風景のように茫洋としている。
今も唯一「セゾン」の香りを伝える「無印良品」の設立についても、どこか他人事のように、偶然の産物のように書かれている。ひょっとすると詩人で文化人気質を持つこの経営者のもとに、才能ある人々が自然に集まってきて、彼はそれにゴーサインを出していただけではないかという気がしてきた。だからバブル崩壊でうまくいかなくなると、何の解決策も出せなかったのではないか。
一番興味深かったのは、三島由紀夫の「楯の会」の制服を西武で作ったくだりだ。「フランスのド・ゴールの軍服をデザインしたのは誰か調べて欲しい」と三島に頼まれて調べると、なんとそれは西武の社員だった。そこで西武で作ることになるが、三島は万年筆で描いた原案を送り、出来上がった試作品にイラスト付きで直しを依頼してきたという。
私は大学を卒業して、西武百貨店から内定をもらいながら、最終的に行かなかった。もし行っていたらどんな人生になっていただろう。
その後堤清二氏とは一度だけ、直接話したことがある。10年ほど前に「田中一光回顧展」を企画した時だが、その時の印象はあまり良くなかった。自分が声をかければ、多くの企業が協賛金を出すだろうと言うことを言われたが、それらの企業からは冷たく断られた後だったから、白けてしまった。その時、この人にはもう現実が見えていないと思った記憶がある。
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