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2012年7月 7日 (土)

ナンシー関没後10年

この2日間、久しぶりにナンシー関の文章が、頭の中を巡っていた。横田増生著『評伝 ナンシー関』を読んだからだ。彼女が亡くなったのは、いまからちょうど10年前の2002年6月11日。当時は『週刊朝日』『週刊文春』『噂の真相』などで、いつも彼女の消しゴム絵やエッセーを目にしていた。

この本は、著者がナンシー関と親しかった人々、友人や親族などに話を聞いてまとめたものだ。身近な人々が見た彼女の姿は、予想外に素直でシャイな、私と同世代のサブカル好きの普通の人だった。

青森の高校生の時に『ビックリハウス』や『宝島』、『スタジオ・ボイス』といったサブカル系雑誌を熱心に読み、YMOが好きで、オフコースや松山千春に違和感を感じる。そのあたりの雰囲気は、同世代の私はよくわかる。そうして大学を中退し、『ビックリハウス』に消しゴムハンコのたくさん入った箱を持って売り込みに行き、執筆が決まる。そして少しずつ有名になる。

彼女が多くの著名人に一目置かれていたことも、この本で初めて知った。小説家の宮部みゆきは、ナンシーが武田鉄矢について書いた「それでいいのか、後悔はしないのか」という文章を常に胸に刻んでいるという。「わたしにとっては“こんなもんでよかんベイズム”に陥らないようにするためのおまじないのようなものです」。

山藤章二は彼女をテレビ評論のパイオニアという。「ナンシーの文章にはよく、途中で『何を言っているんだろう私は』とか、『……とまとめてどうする』というように、自分自身のつぶやきのようなものが差し込まれていることがあります。芸能人と言う敵を斬りつけながらも、返す刀で自分の腕にも赤い筋が残る程度の傷を負う……そのために、批評の世界がもう一歩深みを増しているんです」。

ナンシー語がしばらくは頭を離れないと思った矢先に、友人から今週の『週刊文春』におもしろいコラムがあると教えてもらった。能町みね子の文章で、「ナンシーだったらどう論じただろう」と繰り返す、彼女を神格化する中年男性に「もう、聞き飽きたよ」と言う。誰もがブログで発信できる時代に、「ずいぶん前に亡くなった人に頼るなんていう茶番はもうやめましょうよ。自力で何か言ったらどうですか」。その通り。ナンシーを神格化するのは、ナンシー的ではない。

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