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2012年7月20日 (金)

「通過儀礼」で映画を見ると

映画に関する本は一般に高い。そして売れないから、なかなか文庫にならない。だから文庫になった映画の本は中身を問わず買う。ここで書いた内田樹著『映画の構造分析』のようなトンデモ本もそうして買った。今度買ったのは、島田裕巳著『映画は父を殺すためにある』。

島田裕巳といえば、オウム真理教を擁護したことでサリン事件後に大学教授の職を追われた人だが、彼の本はおもしろい。『創価学会』『日本の10大新宗教』『葬式はいらない』など、どれも目から鱗の内容だった。その彼が映画の本を書いたらどうだろうかと思ったが、これは期待外れ。

副題は「通過儀礼という見方」。つまり「通過儀礼」という人類学や宗教学の言葉を用いて映画を分析していくもので、これがあまりおもしろくない(内田樹よりずっといいが)。例えば『ローマの休日』は、アン王女がローマの街を自由に動き回り恋愛を経験することで、子供から大人になる物語である、という。

そんなのは、わざわざ「通過儀礼」という言葉を使うまでもなく当たり前だ。単に起承転結というか、古典的ハリウッド映画の文法通りである。主人公が、目の前に現れた敵や矛盾を乗り越えて本来の希望を叶えるという普通のパターンだ。

宮崎駿の映画について「宮崎のアニメーション映画において、どうして最後に説明のつかない矛盾がいつも生じてしまうのだろうか。僕は、やはり主人公が通過儀礼を果たしたことが明確に描かれていなからだと思う」。通過儀礼を描かない映画なんてたくさんあると思うが。

『男はつらいよ』シリーズのマドンナと小津安二郎のヒロインが片親であるという指摘はおもしろかった。彼によれば、その「不在」を埋めるために結婚をすることがメインのテーマになるという。彼は「寅さん」も小津も30歳をすぎてから、「不在」の感覚が理解できるようになって、おもしろくなったと書く。そうかなあ。20歳でも小津は十分におもしろいと思うし、そもそもこの2人はだいぶ違うけど。

島田裕巳にしても内田樹にしても、映画以外の専門家が自分の専門領域を強引に映画に持ち込んだ本は、ちょっと引いてしまう。じゃあ、映画の専門家の本がおもしろいかと言われると困るけど。

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