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2012年7月17日 (火)

久しぶりのラテン・アメリカ文学

昔、ラテン・アメリカ文学が流行った頃があった。今から考えると、1982年にガブリエル・ガルシア=マルケスがノーベル文学賞をもらったのが大きかったのかもしれない。大江健三郎とか中上健次とか、大作家たちはみなボルヘスやガルシア=マルケスの名前を口にしていた。

昔から流行に弱い私も、『百年の孤独』などを買いこんで、必死で読んだ記憶がある。それから30年近くたって、ふとラテン・アメリカ文学を数冊文庫で買ってきた。理由は簡単で、去年亡くなったラウル・ルイス監督の映画を最近立て続けに見て、かつて読んだラテン・アメリカ文学を思い出したからだ。

とりあえず、ガルシア=マルケスの中編『予告された殺人の記録』から読んだ。これは『百年の孤独』のような神話のような構造ではなく、あくまで殺人事件をリアリズムで追いかけたものだ。それにしても、結婚から殺人に向かう人々の行動は儀式的と言うか、カーニバル的だ。

「わたし」は約30年前の殺人事件について、調査をしている。人々の食い違う証言や、いいかげんな警察や裁判の記録から浮かび上がるのは、なぜ殺したかも明らかでない、不可思議な殺人だった。

ある港町によそ者の金持ちバヤルド・サン・ロマンがやってきて、貧乏だが美しいアンヘラ・ビカリオと結婚をする。町を挙げての結婚式のさなか、バヤルドは新妻が処女ではなかったことを見破り、新居から追い出す。アンヘラの双子の弟は、アンヘラの相手を聞き出し、一族の名誉のためにアラブ人のサンティアゴ・ナサールをナイフで殺す。ところが、ナサールはアンヘラと関係はなかった。

今や存在しない、恐るべき男性中心の封建社会をたどり、過去と現在を行き来する語り方は、確かにラウル・ルイスの『ミステリーズ・オブ・リスボン』に近い。チリ生まれで、1973年にフランスに政治亡命したルイスは、この文学の伝統を受け継いでいるに違いない。そういえば、『予告された殺人の記録』は、フランチェスコ・ロージ監督で映画化されていた。あまりおもしろくなかった記憶があるが、今見たらどうだろうか。

次に手に取ったのは、ボルヘスの『創造者』。こちらは短編というか、1篇数ページの文章が無数に載っている。謎めいた哲学詩みたいだ。例えば「夢の虎」という2ページの文章は、夢の中に出てくる虎が、最近は弱々しくなったことを述べるだけだ。この禅問答みたいな超短編は、クセになりそうだ。この夏はラテンかもしれない。

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