蓮實重彦著『映画時評2009-2011』に考える
個人的に今まで何人かの人に騙されたが、何といっても蓮實重彦氏ほど多くの映画好きを騙した人はいないのではないだろうか。今の30代後半から50代半ばまでの中には、人生を狂わされた人もいやしないか。彼の新著『映画時評2009-2011』を読みながら、そんなことを考えた。
「今すぐ映画館に駆けつけなければならない」「この映画を見た人と見ていない人の間には、金輪際、会話は成り立たない」などの言葉に惑わされた人は多いだろう。彼の新著にはそのような「煽り」はない。しかし、独特のレトリックは健在だ。
イーストウッドの『インビクタス』はどう見ても平凡なのに、「いつもの自分から気の遠くなるほど異質な演出になろうと、ここでのイーストウッドは、あえて曖昧さを排除し、すべてを透明な光景として描きあげる」と表現する。そして「完璧であるがゆえに不自然というほかはないこの透明に似たもの」としてロメールの『アストレとセラドン』に比較する。あるいは「『グラン・トリノ』の倒立した映像」と位置付ける。これをレトリックと言わずして何と言おう。
この本で彼が絶賛する映画の多くは私も好きだし、多くの映画好きも8割方は同意するだろう。ポイントは彼のほめるところが、そんなシーンがあったかというような場面だったりすることであり、あるいは何とも複雑なほめ方だったりすることだ。
例えばゴダールの『ゴダール・ソシアリスム』を論じながら、「第二楽章には、HDカムで撮影された映画史上最も美しい女性のクローズアップが挿入されているから、それだけは見逃してほしくないといいそえておく」と書く。私はそんなショットは覚えていない。考えてみたら、そんなことばかりだ。
個人的には何度となくお会いしているが、ある時パリで、一対一でゆっくり昼食を共にしたことがある。文章の与える印象とは違って、暖かい人柄の優しい方だが、なかなか疲れた。好きな映画は似ていても、彼の言うポイントがあまりにも独特で、素直な笑顔が返せなかった記憶がある。
私も蓮實さんに「騙された」かもしれない。それは私に関する限り、いい方向に導いてくれたと思うことにしている。
さて、実はこれがアップされる時は私は飛行機の中で、これから海外です。しばらくの間、通信事情などでアップできない時はご容赦を。
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