何とも懐かしい『銀の匙』
ある時書店で、ふと一冊の文庫本に目が留まった。中勘助著『銀の匙』で、ずっと昔、中南米に出張した時に読んだ記憶がある。その時は、その本をアルゼンチンの日系人にお世話になったお礼に渡したため、手元にはなくなっていた。
自分の記憶の中では、その本はブラジルやペルーやアルゼンチンで出会った、日系人の方々との思い出に連なっている。つまり、古い日本の習慣というか、昭和の生活空間が丸のまま残っているような、心温まる感覚というか。
この本は、ある男が書斎の本箱の引き出しから銀の匙を見つけて、幼年期を思い出してゆく、という形のエッセーだ。伯母さんの思い出に始まって、好きになった女の子とのやり取り、嫌いな兄との確執などが、なんともほっこりした文章で語られてゆく。
「私は虚弱のため智慧のつくのが遅れ、かつ甚しく憂鬱になって、伯母さん以外の者には笑顔を見せることは殆どなく、また自分から口をきくことはおろか家の者になにかいわれてもろくに返事もせず、よっぽど機嫌のいい時ですらやっと黙ってうなずくぐらいのもので、意気地なしの人みしりばかりして、知らない人の顔さえ見れば背中に顔をかくして泣きだすのが常であった」
こうした長文が、えんえんと続く。なぜ私がこの文章に親しみを感じるかというと、実は私は小さい頃、本当に気の弱い子供だった。元気な姉たちの後ろに隠れて、いつも黙っていた。小学校の3年生くらいからその性格はだんだん変わってゆくが、幼稚園の頃はとにかくすべてが怖かった。だから『銀の鈴』は、自分の原点のような気がして何とも懐かしい。
中南米で何度か日系人の方のご自宅に招かれて、この本と同じ懐かしさを感じた記憶がある。また行ってみたい。
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