怪人、松尾邦之助
最近、戦後フランスにおける日本映画研究の始まりの部分を調べている。特にマルセル・ジュグラリスという、1956年に外国語で最初の日本映画史の本を書いた人がおもしろい。ジャーナリストとして1951年に来日しながら、フランス映画を日本に広めると同時に、日本映画をカンヌを起点に世界に紹介した人だ。
彼の来日時の新聞記事を読んでいたら、松尾邦之助という怪人に突き当たった。来日して2週間後の「読売」に、「松尾本社副主筆の案内で三保海岸へ直行」した記事がある。最初は、「来日直後にすぐに読売の上層部とコネを作ったんだな」くらいに思っていた。
その後、この「松尾」は、ジュグラリスの唯一邦訳された本『北爆:ベトナム戦争と第七艦隊』の翻訳者、松尾邦之助であることがわかった。石原慎太郎の『太陽の季節』の仏訳は松尾の手になるが、ジュグラリスが序文を書いている(ジュグラリスが2年半前に亡くなった時、「日経」にはジュグラリスが翻訳したと書かれたが、これは誤り)。
ここまではいい。ところが先日、鹿島茂著『パリの日本人』をぱらぱらめくっていたら、「人間交差点・松尾邦之助」の項があってびっくり。この文章は「両次大戦間のパリで、さまざまに交差する人間関係が一カ所に集まる人間交差点的日本人を一人選ぶとしたら、それは衆目の一致するところ松尾邦之助ということになるだろう」で始まる。
1899年に生まれ、東京外語を卒業後、1922年に渡仏、「フランス側にも影響を及ぼした“パリの日本人”として、松尾は藤田嗣治と並んで例外的な存在だったのである」。
何が例外的かというと、『枕草子』に始まって、芭蕉の俳句、能、現代詩など、日本関係の翻訳が、現在わかっているだけでも13冊。1932年に「読売」のパリ特派員に収まるまで、パリ日本人会の世話役をしながら、膨大な翻訳をしてきたのだ。1941年までパリに留まり、その後はトルコに移り「アンカラ発特電」を送る。42年にはスペインに行き、46年1月に帰国。
その後、「読売」の「論説委員・副主筆」となり、ジュグラリスの友人となったようだ。松尾の戦後の著作は数冊のパリ放浪記に始まり、文学、政治からセックス指南まで多岐にわたる。現在その一部を古本で入手中なので、これについては後日書く。
そういえば、1922年といえば、村山知義がベルリンに行った年だ。みんな20代前半で、すごい。
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