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2012年10月 6日 (土)

今頃読む『華氏451度』

私は、金曜の夕刊はいくつもの新聞を買う習慣がある。理由は簡単で、各紙の映画評を読み比べるためだ。そこで映画以外で必ず読むのが、「読売」の3面に載っている斉藤美奈子氏の「名作うしろ読み」。

斉藤美奈子といえば、身も蓋もない表現をする文芸評論家だが、それが本質をついていることが多い。まして古典を紹介するこの欄は、何とも痛快だ。

前置きが長くなったが、ここで紹介されていて読んだのが、今年6月に亡くなったレイ・ブラッドベリの『華氏451度』。もちろんトリュフォーの映画は見ていたが、小説は読んでいなかった。

1953年に書かれた近未来小説で、主人公は禁書のある家に火をつけるのが仕事だ。人間に物を考えさせる本を禁じ、ひたすらテレビばかりを見る世界。

「本だってそれにつれて短縮され、どれもこれも簡約版。ダイジェストとタブロイド版ばかり。すべては煮詰まってギャグの一句になり、かんたんに結末に達する」。これはまるでツイッター社会ではないか。

「人間の思考なんて、出版業界、映画界、放送業界-そんな社会のあやつる手のままにふりまわされる」。いやはや、現代社会そのままだ。

主人公はある時本と共に死ぬことを選んだ老婆を見て、考えを改める。隠していた本を読み始め、殺されそうになると逃げだす。逃げて逃げて、たどり着いたのは、元インテリたちが隠れ住む町。

先日、これも今年亡くなったクリス・マルケルの『ラ・ジュテ』(1962)をDVDで見ていて、その終末的な近未来像に暗澹たる思いに駆られたが、この本にも似たような空気が流れている。

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