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2012年10月26日 (金)

それでも東京国際映画祭を見捨てない:その(7)

そもそも、今週は東京国際ということを忘れて、飲み会を3つも入れていた。授業と宴会の間に走り回って六本木に通う。昨日はようやく1本、「ワールド・シネマ」の『レイモン・ドゥパルドンのフランス日記』を見た。

ドゥパルドンは、1985年のカンヌで「アフリカの女」を見て以来のファンだ。2年前だったか、『モダン・ライフ』(08)が彼の作品として日本で初めて公開された時には、自ら配給会社に申し出て劇場パンフに長文を書いたくらいだ。

今回は、これまでの作品の未使用カットをつないだ、彼の映画の総まとめのようなもの、と聞いて期待していた。しかし、ちょっとがっかりした。確かにジスカール・デスタンの映画や、裁判を撮った映画の未発表の映像は興味深いけれど、ドゥパルドンのおもしろさは、彼がじっとそそぐ視線にある。10本を越す作品がブチブチに切られて繋がれていても、彼の良さはあまり出ない。

過去の映像の合間に、フランスを車で旅して写真を撮るドゥパルドンの現在の姿が写るが、あまりにも満ち足りた感じでおもしろくない。撮る相手に対してある種の罪悪感を感じるような、彼の持ち味が出ていない。

一番良かったのは、今の夫人であるクローディーヌ・ヌガレと出会った頃の彼女を撮った映像。1986年に28才だった彼女は光り輝いていて、執拗に追いかけるドゥパルドンのカメラがいい。彼の映画にある、若い女性への永遠の憧れがはっきり出ている。それから彼女がその直前に撮ったロメールの『緑の光線』のメイキング映像もおもしろかった。マリー・リヴィエールら若い女性たちと戯れる、痩せ細ったロメール。

その少し前に、ゴダールとジャン・ルーシュとアラン・ドロンが写っている映像があったが、あれはカンヌだろうか。

いずれにしても、ドゥパルドンのこれまでの作品をもう一度見た気になって、その時代の思い出と共に何とも懐かしい気分になったのは事実だ。

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