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2012年10月25日 (木)

それでも東京国際映画祭を見捨てない:その(6)

東京国際映画祭も終盤になってくると、見るだけでも疲れてくる。映画祭の個々の作品のレビューを書くわけでも、映画を買い付けるわけでもないのに、何で無理して見ているのかと自問自答しながらの六本木通い。昨日も2本見た。

抜群におもしろかったのが、ワールド・シネマの『サイド・バイ・サイド―フィルムからデジタルへ』。撮影、編集、上映、保存の全過程にデジタルが押し寄せたこの20年をめぐる話を、監督、撮影監督、編集、技術者、機材開発者などにインタビューしたものだが、インタビュアーは何とキアヌ・リーブス。

スコセッシ、ルーカス、リンチ、フィンチャー、キャメロン、ノーラン、ソダバーグら巨匠監督に加えて、ヴィットリオ・ストラーロやヴィルモス・ジグモンドなどのカメラの神様たちが続々と出てくる。加えてコダックやソニー、テクニカラーなどの技術者たちも。何ともわかりやすいデジタル映画史だ。

デジタルに対して最も楽観的なのは、ジョージ・ルーカス。『スターウォーズ』を撮った1978年にはデジタル映像の実験を始め、1999年に『スターウォーズ エピソード1』のデジタル上映をするなど、デジタル映画の旗振り役を演じてきた監督らしい。「デジタルの保存なんて、新しい方法がすぐに見つかるさ」

デジタル映画の申し子的な監督は、ラース・フォン・トリアーにデヴィッド・フィンチャー、ダニー・ボイル、スティーヴン・ソダバーグ、ウォシャウスキー姉弟、ソダバーグ。それぞれどの映画をどのデジタル機材を使って撮ったかを、その機材のどこが気に入ったかを詳細に述べる。

スコセッシはデジタルは未来で新しい未来が開けると言いながらも、保存はフィルムしかないと言う。デヴィッド・リンチもフィルムに未来はないと言いながらも、安価なデジタル機材で誰もが映画を撮れる現状に、「全員に紙と鉛筆をもたせても、秀逸な物語がたくさん生まれるわけではない」と冷ややかだ。意外だったのが、クリストファー・ノーランで、何とデジタル嫌いで『ダークナイト ライジング』に至るまで、撮影はフィルムという。

誰かが言った「映画館は20世紀の教会だったが、今では映画はスマホで見るのが主流になった」という言葉が心に残った。もう一度見たい。

その前にコンペの『メイジーの知ったこと』というアメリカ映画を見たが、印象はかなり薄れた。ジュリアン・ムーア主演でなんでこれがコンペかわからないようなメジャーな映画だった。『未熟な犯罪者』に続いて、無責任な親に振り回される子供の話。それなりに良くできた映画ではあるが。

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