« それでも東京国際映画祭を見捨てない:その(3) | トップページ | それでも東京国際映画祭を見捨てない:その(5) »

2012年10月23日 (火)

それでも東京国際映画祭を見捨てない:その(4)

昨日は2本を見た。その前に講義系の授業を2コマやった後なので、やはり疲れた。見たのはプレス上映のコンペ『ニーナ』とワールド・シネマの『リアリティ』。偶然、2本ともイタリア映画だった。

昔、イタリア映画祭を7年もやっていたので、イタリア映画に関してはつい厳しい見方をしてしまう。それで言うとエリザ・フクサスという女性監督の初長編『ニーナ』は全くダメ。これだったら、イタリア映画祭にだって選ばれないレベルだ。

夏のローマの巨大な邸宅で、一人でバカンスを過ごす女性ニーナ。犬、近所の子供、書道、出会う男、オペラ、そして9月末に行くことになる北京。すべてがスタイリッシュに描かれる。身の回りのすべてはアクセサリーのようで、何のリアリティもない。74分でも長すぎた。映画らしい映画を作れる監督が、イタリアには30人はいるのに、何でこんなCMまがいの映画を選んだんだろう。

『リアリティ』は『ゴモラ』(08)で突然世界のトップに躍り出たマッテオ・ガローネの新作ということで期待したが、それほどのことはなかった。物語は、ナポリの魚屋のルチアーノが、テレビのリアリティショウ番組『ビッグ・ブラザー』のオーディションを受けて、スターになれると勘違いし、現実と夢の区別がつかなくなるというもの。

冒頭にいくつもの結婚式を見せるシーンから、ナポリ特有のグロテスク・リアリズムは始まる。本当に汚い安アパートに集う人々の醜いことといったら。欲望に駆られた人間の生の勢いを、ぐいぐいと迫るカメラが追いかける。『ニーナ』と違って、どのシーンも映画だと納得する。

ルチアーノがオーディションに落ちて、貧乏人をご馳走したり家具をあげたりして、宗教的になってゆくあたりから、調子が落ちてゆく。部屋に閉じこもってテレビを見続けるシーンが、いかにも現代の象徴のようで甘くなってゆく。そして最後もいま一つ。

それでも十分におもしろかった。もともとこの監督は、『ローマの夏』や『剥製師』などがそうだったが、退屈な日常がいつの間にか幻想に変わって様子を描くことに定評があった。その意味で『ゴモラ』だけが例外的にはまり過ぎていたのかもしれない。今回は予算も大きかったので収拾がつかない感じになったが、次は低予算で得意な世界を描いてほしい。

|

« それでも東京国際映画祭を見捨てない:その(3) | トップページ | それでも東京国際映画祭を見捨てない:その(5) »

映画」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/537538/55952607

この記事へのトラックバック一覧です: それでも東京国際映画祭を見捨てない:その(4):

« それでも東京国際映画祭を見捨てない:その(3) | トップページ | それでも東京国際映画祭を見捨てない:その(5) »