それでも東京国際映画祭を見捨てない:その(9)
金曜の夜に遅く帰って「さて明日の六本木は」とプレス上映表を見たら、何もない。プレス上映は金曜までだったことを忘れていた。そこで一般上映からまだ買える映画を探したら、ワールドシネマ部門の『闇の後の光』が残っていたので、さっそく買った。
今年からはチケットの代わりにスマホでQRコードを見せる方式になった。スマホがない私はダメかと思ったが、パソコンからネットで購入して、最後にQRコードを添付で携帯に送ったらうまく行った。もうスマホを買わないといけない。
『闇の後の光』だが、これはメキシコのカルロス・レイガダスという監督の作品で、前から見たいと思っていた監督だった。今年のカンヌで監督賞を受賞したが、賛否両論だったという。
見てみると、久しぶりの映画原理主義に出会った気分だ。ペドロ・コスタのような、あるいはストローブ=ユイレのような。山の中で暮らす若い夫婦と2人の子供に日々。夫婦はどこかうまくいかない。そのうち夫は近所のコソ泥を捕まえようとして、銃を撃たれる。
映画の始めと終わりに、アニメの赤い羊人間が、トランクを持って家を訪れる。あるいは主人公の夫妻かどうかわからないが、フランスのスワッピング・クラブの「デュシャンの部屋」で妻は大勢の男に犯される。金持ちのパーティ。庶民たちの集い。何だかさっぱりわからないのに、見ていてゾクゾクしてくる。
終盤、自分で自分の頭をもぎ取る男が出てくる。強い雨が降り、雷が鳴る。そしてなぜかラグビーのシーン。どうもイギリスのようだ。そして映画は突然終わる。
全編長回しで人間と動物と自然を同じレベルでとらえ、純度の高さだけを追いかけるようなカメラに、吸い込まれた気分だ。たぶんこのレイガダスという監督は、一生こんな映画を作るのだろう。こんなわからない映画に賞を出すから、国際映画祭の意味がある。
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