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2012年10月10日 (水)

『ジャパン イン ア デイ』に考える

11月3日公開の『JAPAN IN A DAY ジャパン イン ア デイ』を見て、いろいろなことを考えた。これはリドリー・スコットが製作総指揮で、『ライフ イン ア デイ 地球上のある一日の物語』(2011)と同じように、ある一日に撮った映像を一般に募集して、集まった8000本を編集して作られた映画だ。

『ジャパン イン ア デイ』の1日は、東北大震災から1年後の2012年3月11日のこと。1時間半のできあがりには、震災に関連した映像が半分くらいで、普通の日常が半分くらいか。

映像はまともなカメラで撮ったものからスマホまで、機材も技術もさまざまだ。それを巧みに編集して音楽を入れ、日本人は頑張って生きています、という感じの映像に仕上げている。

涙が出そうなシーンはある。しかし見ていて落ち着かない。地震という不幸をネタにしてビジネスをしている気がしてならない。もともと編集という作業は、アンドレ・バザンが言うように映像の操作であり、プロパガンダに最もふさわしいものだ。普通の人々が無邪気に(あるいは作為的に)撮った映像を編集して、ある方向に沿って1本に仕上げられた映像には、どこか居心地が悪くなった。

極端な例だが、第二次世界大戦末期のアメリカ製プロパガンダ映画『我々はなぜ戦うか:汝の敵、日本を知れ』は、日本人が撮ったニュースや劇映画を巧みに編集して日本がいかに危険な国かをアピールするものだった。新たに撮ったのはいくつかのアニメくらいで、編集だけでここまで意味を変えられるのかと思った。さすがにフランク・キャプラとヨリス・イヴェンスの共同監督だけのことはあると感心した記憶がある。

『ジャパン イン ア デイ』をよく見ると、ある映像のセリフを別の映像にかぶせたり、同じ人の映像をいくつにも分けて巧みに挟み込んだり、音楽で盛り上げるシーンと音楽のないシーンを使い分けたり、何とも巧みだ。ラストは、まさにその日に生まれた赤ん坊の誕生シーン。うーん。

それでも良かったのは、全国で多くの人が同じようなことをしているシーン。各地での反原発デモや集会は規模も雰囲気も違うが、それをつなげると何か共通のものが出てくる。あるいは、2時46分の1分間の黙祷のシーンは、追悼集会やサッカーの会場、被災地、街頭など場所は違うが、みんなが目をつぶる。まさにこうした集合映像ならではの効果だ。

おそらく多くの観客はこの映画を見て感動するだろうから(試写会でもすすり泣く声がした)、私は単にへそ曲がりかもしれないが。

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