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2012年11月19日 (月)

森鴎外の『山椒大夫』を読む

角川文庫の森鴎外『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』を買った。肌触りのいい紙に、ちょっとレトロなブックデザインが気に入ったからだ。字が大きいのもいい。まずは「山椒大夫」を読んだが、ちょっと不思議な体験をした。

この小説は文庫でわずか41頁。普通なら1時間もかからないはずだが、なかなか進まない。読んでいると溝口健二の同名の映画の映像や音楽が立ち現われてきて、何やら落ち着かないからだ。

冒頭の母が子供2人と別れる場面。「子供は只『お母あ様、お母あ様』と呼ぶばかりである。舟と舟とは次第に遠ざかる。後ろには餌を待つ雛のように、二人の子供が開いた口が見えていて、もう声は聞こえない」

ここであの溝口の長回しが蘇る。左右に離れ行く舟を同じ画面に捉えながら、母親(田中絹代)のアップに移る。鳴り響く笛や太鼓。

大きくなった安寿が厨子王を逃がし、池に入水自殺をするシーンは、映画では香川京子が靴を脱いでゆっくりと水の中に入り、水面に輪が広がるのに合わせて母親の歌声が遠くに聞こえる。小説では、「山椒大夫の討手が、此坂の下の沼の端で、小さい藁履を一足拾った。それは安寿の履であった」のみ。

最後の母との再会は、「そしていつもの詞を唱え罷めて、見えぬ目でじっと前を見た。其時干した貝が水にほとびるように、両方の目に潤いが出た。女は目が開いた。/『厨子王』と云う叫が女の口から出た。二人はぴったり抱き合った」。これだけだ。

映画では田中絹代は、息子だとなかなかわからず、息子が大切に持っていた地蔵さんのお守りを手にしてようやく「厨子王」と叫ぶ。そこに母の歌が流れ、カメラは海の方に大きくパンする。触覚と音楽とカメラワークを使いこなした演出は、映画ならでは。

それにしても鴎外の文章は短く、無駄がなく、それゆえに余韻を残す。何度でも読みたくなる。後で映画の冒頭を見てみたら、母は舟に乗るが、子供たちは陸に残ったままだった。そしてそのシーンまでに20分はあった。この短い小説をどうやって2時間を超す映画にしたのか、細かく後をたどってみたくなった。

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