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2012年11月16日 (金)

何でいまさらバルザック

バルザックの『ゴリオ爺さん』を読んだ。白状すると私は大学は仏文学を勉強したのだが、この小説は当時読み始めて退屈で途中で止めた記憶がある。なぜいまさら読んだのか。理由はいくつかある。まず、文庫の活字が大きかったこと。


最近は昔の文庫本の文字組みだと読むのがつらい。ちょっと大きめに再版してあると、思わず買ってしまう。

次の理由は、「読売」の夕刊で斉藤美奈子が「名作うしろ読み」で取りあげていたからだ。確か「親バカの悲劇」と書いていた。いいなあ、親バカ。

で、おもしろかったか。正直なところ、退屈はしたがおもしろいところもあった、という感じか。パリの貧乏下宿を舞台に、娘2人の幸福のために貧乏になったゴリオ爺さんと、田舎から出てきて野心満々の青年ラスティニャックを中心に、貧乏人たちが大騒ぎする話だ。

奇妙な詐欺師ヴォ―トランが、ラスティニャックに出世するコツを説くところなんて、妙にリアルで現代にも通じるし、何よりゴリオ爺さんの親バカぶりがおかしくて哀しい。

時々、真実を突くような言葉も出てくる。「パリの女はしばしば見せかけばかりで、みやみと虚栄心が強く、自分勝手で、コケットで、冷淡だが、しかし本当に恋をするとなると、その情熱のために、よその女以上に多くの感情を犠牲にすることも確かなのである。彼女たちのあらゆる卑小さが偉大さを生み、崇高な女となる」

もちろんこの小説の最大の見どころは、ラストシーン。ゴリオ爺さんは貧困の中で娘たちを呪いながら死に、娘たちは葬式にも来ない。ラスティニャックはペール・ラシェーズ墓地の丘からパリを見下ろし、「さあ今度は、おれとお前の勝負だ!」と言う。そして「“社会”に対する最初の挑発的行為として、ラスティニャックはニュシンゲン夫人の屋敷へ晩餐をとりに出かけた」。

ニュシンゲン夫人というのはゴリオの娘の一人でデルフィーヌのこと。そういえば、現在上映中の『ミステリーズ 運命のリスボン』のラウル・ルイス監督には、バルザック原作の「ニュシンゲンの家」という未公開作品がある。DVDで見たが、なかなかおもしろかった。

『ゴリオ爺さん』は、爺さんが主人公だが、この作品を含むバルザックの「人間喜劇」には、その後政治家になるラスティニャックを描いた『従妹ベット』があるように、主人公が小説によって異なる作りになっている。まさに『ミステリーズ』と同じ構造だ。実は私は『ミステリーズ』の劇場パンフを書いているが、それに触れればよかった。

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