森鴎外の歴史小説
いやはや驚いた。鴎外の小説『山椒大夫』が映画と比べて物足りないくらいシンプルなのに感嘆したが、同じ文庫に収められて入るほかの歴史小説も、まるで大人向けのお伽噺のような味わいがあった。
『じいさんばあさん』は、江戸時代に、麻布龍土町(今の国立新美術館あたり)に突然やってきた老夫婦をめぐる話だ。豊かではないが品のある二人は付近の評判となるが、彼らには隠れた過去があった。じいさんは有名な侍だったが、ある時友人の皮肉に怒って刀を抜いてしまう。相手が亡くなったため、判決で越前の国へ流される。
そして37年たち、特赦で男は江戸へ帰ることになる。「それを聞いたるん(ばあさん)は喜んで安房から江戸へきて、龍土町の家で、三十七年振に再会したのである」。感激の再会をぷつりと簡潔に書いてしまう。
とにかく簡単に人が殺されたり、自害したり。『阿部一族』に至っては、主人が死んでその後を追って18人も後追い自殺したという話が冒頭に出てくる。阿部は主人に後追い自殺の許しを得ていなかったが、いたたまれず自殺する。その是非をめぐる物語だ。
『高瀬舟』は、高瀬川を下る罪人の護送をする男が罪人から聞いた話だ。あまりにも顔色がいいので聞いてみると、これほど清々しい気持ちになったことはないと言う。罪人は病気に苦しむ弟をやむをえず殺したが、全く後悔してない。その話を聞いて護送の男は、自分の方がよほど苦しいと思う。
現在とは異なる死生観がそこにはあり、それをすらすらとすっとぼけた調子で書く鴎外の筆致は神業のようだ。やはり鴎外の長編史伝『渋江抽斎』を読みべきだろうか。あるいは10年後くらいの楽しみにとっておくか。
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