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2012年12月28日 (金)

映画『土』の数奇な運命

前から見たかった内田吐夢監督の『土』(1939)をフィルムセンターで見た。かつてはそこで自分が映画祭を企画したこともあったので何百回訪れたかわからないが、映画を見るのは久しぶり。まず、観客の層が変わっているのに驚いた。

以前は映画好きの大学生と、暇を持て余した老人が中心でそれに何をしているのかわからない中年が少し、といった感じだった。ところが今回、半分が60代の、割に身なりのいい人々だった。いわゆる団塊の世代が退職後に暇をつぶす場所になったのか。若者は少ない。

さてこの映画は、数奇な運命をたどっている。封切り当時は142分の長さだったが、1968年に東独のアーカイヴで発見されたのは、冒頭と結尾の巻が欠落した93分版。1999年には、ロシアのゴスフィルモフォンドで冒頭の巻などを含む115分の版が発見された。今回上映されたのは、東独版の93分とロシア版の24分を合わせた2006年に復元された117分の「最長版」。

以上がクレジットのおおまかな説明だが、ともにドイツ語字幕版だ。なぜドイツ語かというと、1939年にベネチア国際映画祭に出品したからだ。実は私は昨年、1938年にベネチアで同じ日活の『五人の斥候兵』が宣伝大臣賞を受賞した経緯を調べていたら、これがドイツ語字幕付きで川喜多長政がドイツでの配給を探していたことがわかった。

翌年に出した4本の作品のうち1本が『土』で、ほかの3本は『兄とその妹』(島津保次郎、松竹/仏語)、『上海上陸戦』(熊谷久虎、東宝/伊語)、『太陽の子』(阿部豊、東京発声/英語)。

映画会社のバランスはともかく、言語まで4カ国語とは。『土』に関しては、川喜多がベネチアの後にでベルリンで試写をして配給の可能性を探っていたプリントが、東独のアーカイヴに残ったのだろう。ではなぜモスクワか。モスクワのゴスフィルムフォンドから出てきた日本映画は満州からソ連軍が持ち帰ったものと言われているが、ドイツ語字幕がついたものが満州にあったとは考えにくい。恐らくベルリンにあったプリントの1つをベルリン陥落後ソ連軍が持ち帰ったのではないか。

そんなことを考えていたら、映画自体について書く余裕がなくなったので、この地味な映画をなぜ海外に出したかについては後日書く。

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