1920年代ヨーロッパの美的映像
飯田橋の東京日仏学院に、ジャン・グレミヨンの『混血児ダイナ』を見に行った。「カイエ・デュ・シネマ週間」ということで、何と今年で第16回。冒頭の坂本安美さんの説明だと、やらなかった年もあったので、20年くらいやっているという。私は自宅から歩いて行けるので、毎回2、3本は見ている。
直前に着いてみると、ほぼ満員で驚いた。もっと驚いたのは、その中にかつての90年代からの「シネフィルおじさん」が数名いたことだ。私がルノワールやホークスの全作品上映を企画すると必ず来ていた面々のうち、5名ほどがいたのに感動してしまった。
一度フィルムセンターのゴーモン特集でやったとはいえ、グレミヨンの未公開作品。さらにその前にシネマテーク・フランセーズから借りたディミトリ・キルサノフの12分の短編『秋の霧』まである。昔なら満員どころではなく、朝から列ができて怒号が飛んだだろう。
で、映画はどうだったかというと、2本とも拍子抜けするくらい「美的映像」だった。『秋の霧』は、エキゾチックな美人(監督のパートナーのナディア・シビルスカヤ)が、森の中で手紙を手にし、大きな瞳に涙を浮かべる。落葉の舞う森の中を歩き、落葉は川の上を敷き詰める。
彼女は手紙を燃やし、その涙は炎と雨と森の中に消え去ってゆく。たいした物語ではないが、とにかく映像でこれでもかと見せ切るフランス20年代の「印象派」特有の画面作りだ。
『混血児ダイナ』は、豪華客船の中で美女がいなくなるという事件を扱ったものだが、これもまた溜息の出そうな「美的映像」だ。黒人のおとなしい夫に不満なハーフのダイナは、みんなを誘惑する。金持ちに飽き足らず、機械工を誘惑しようとして、レイプされそうになり、肩に噛みつく。そしてダイナは消えてしまい、夫の復讐が始まる。
船のマストやロープなどの組み合わさった構成はほとんど『戦艦ポチョムキン』だし、船の中の機械部分の光と影はまるで『カリガリ博士』か『M』を見ているようだ。金持ちたちの舞踏会はドイツ時代のルビッチの映画のように豪華絢爛だし、黒人の夫の黒魔術はマン・レイの映画を想起させる。
つまり、トーキー初期作品だが、20年代のヨーロッパの実験的な映像が満載で、見ているだけで飽きなかった。しかしグレミヨンがこの前に作った『父帰らず』のような厳しいリアリズムが感じられなかったのは、今のバージョンがズタズタにカットされたものだからだろうか。
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