大島渚のこと:その(3)
まだ戦メリのあのテーマ曲が頭の中をめぐっている。一昨日、大島監督の葬儀に行ったら、待ち時間で15分ほど聞かされたからだ。実を言うと、知り合いが多いので葬式はやたらに行くが(結婚式は原則として出ない)、テレビクルーが来るような有名人の葬儀に行ったのは初めて。
大島監督とはここに書いたように3度ほど話したが、もちろん親しいなんてとても言えない。行きたいと思ったのは、自分が若い頃から仰ぎ見ていた巨匠監督の最後の人だと思ったから。自分の目で見ておきたいと急に思った。
築地本願寺の場所は知っていたが、受付のあたりで緊張した。知り合いが何人か受付を手伝っていたが、「何であなたが来るの」と言われている気がして、柄にもなくオドオドした。始まる15分前に席に着いたが、思ったほど参列者は多くない。
式が始まり、挨拶が続く。松竹の大谷会長は、いかにも秘書部長が書いたような内容。次の篠田正浩監督は、いきなり、「おおしまなぎさっ!」と呼び捨てで始まって、途中で感極まって泣きそうだった。『絞死刑』にいかに驚いたかを語り、サミュエル・ベケットのこの映画への絶賛を引用した。
次の佐藤忠男氏は、2週間前にお見舞いに行った様子を語った。確か大島夫妻の結婚式の仲人のはずだ。そして田原総一郎は、「朝まで生テレビ」で、大島監督が挑発者であり続けたことを語った。
そして坂本龍一氏は、ただ一人、用意したペーパーなしで「おおしまかんとくぅー!」と呼びかけるように話し始めた。
「最初にあなたの映画に出会ったのは15,6(歳)の時、最初に見たのは確か「日本春歌考」だったと思います。今でもあなたの作品の中で1,2を争うほど好きな作品です。それ以来あなたは僕のヒーローになりました。
そのヒーローであるあなたがたった一人で台本を脇に抱えて、私に会いに来て下さいました。大変驚きました。あなたは私に「映画に出てください」とおっしゃいました。それまでまったく経験のない私は無謀にも、私に音楽をやらせて下さいと頼みました。あなたは「いいです。お願いします」と即答されました。そこからすべてが変わりました。今日あるのは大島監督、あなたのおかげです」
その後に松田龍平が、藤竜也の弔電を読んだ。そこでも「私のヒーローでした」という言葉があった。残念ながら同時代的には『戦メリ』から始まった私の世代には、「私のヒーロー」という感覚はない。
この葬儀の直後、私は例のWEBRONZAに追悼文を送り、昨日アップされた。遅れてきた世代の拙い文章だが、ご一読を。
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