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2013年1月22日 (火)

大島渚のこと:その(2)

大島監督をめぐる追悼文のなかで一番気になったのは、「日経新聞」に吉田喜重監督が書いた「松竹ヌーベルバーグは虚妄」という言葉だった。当時この言葉を最初に使ったのは「週刊読売」だったと思うが、「私自身は不本意だった」と吉田監督は述べる。

「あたかもひとつの思想運動としてあるかのように表現されることに、私は抵抗せざるをえなかったが、松竹はこれがもっとも有効な宣伝フレーズだとして聞き入れなかった」

「事実、私は大島の初期の二作品を見ただけであり、彼は私の作品も一作も見ていない」

実を言うと、2003年に小津シンポをやった時に、カタログの吉田監督の紹介文に「松竹ヌーベルバーグの一人として」と書いて、「削ってください」と言われたことがあった。彼が大島の作品をほとんど見ていない話もその前に聞いたことがあった。

しかし内輪ではなく、新聞ではっきり書いたことに驚いた。吉田監督にとっては、今でも納得のいかないことなのだろう。それでは、陰陽で言えば陽にあたる大島監督はどう思ったのだろうか。

現代思潮新社から出ている『大島渚著作集』をめくっていたら、第二巻に「“ヌーベルバーグ”撲滅論」という文章があった。

「『愛と希望の街』が埋もれ、『青春残酷物語』や吉田喜重の『ろくでなし』が烈しい非難と称賛の渦をまき越したのは、それらが前衛精神を買われ「禁じられたフィルム」の性格をもっていたからである。そこには芸術運動の萌芽があった。

その時、会社は「禁じられたフィルム」が商売になることを発見し、運動周辺のはゴロツキ共はその要請に応えて、形骸のみの「禁じられたフィルム」をつくり始め、ジャーナリズムはその形骸に“ヌーベルバーグ”の名を与えたのである。このような“ヌーベルバーグ”を撲滅せよ」

これは63年の『戦後映画・破壊と創造』に出ているようなので、当時の文章だ。考えてみたら、ドイツ表現主義だって、『カリガリ博士』が低予算で当たったから次々と作られたというのが最近の研究結果だし、本家のフランスのヌーベルバーグだって、似たようなところはあった。

「運動」や「傾向」で芸術家を安易に一括りにするというのは、人間の、とりわけジャーナリズムの習性なのかもしれない。ところで吉田監督の同じ内容の文章は昨日の「朝日」にも載っていたが、他紙に比べて何であんなに遅いのだろうか。

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コメント

読んでくれてありがとう。あの文章は追悼文としては異色でしょうが、大島渚という映画作家の出発点を明確に示した証言だと思います。互いの距離を冷静に見定める姿勢は表現者としての矜持だと思いますし、そこに吉田さんの真情と誠実さを読み取っていただける方が少なからずいることはうれしいことです。

投稿: 匿名 | 2013年1月24日 (木) 02時34分

こんばんは。日大 芸術学部 映画学科1年の大沢です。
今日の授業で大島渚監督の『日本の夜と霧』を観て、作品理解に苦しむ自分を情けなくも思いましたが、映画は森羅万象を捉えているということを改めて感じることが出来ました。日本史・世界史の知識は勿論、当時の映画界についても深い理解を必要とするのですね…先生が私たちに向けて仰られた「映画ファン」という言葉は、最もであると思いましたし、自分の浅学さを見つめる良いきっかけになりました。これから先の大学生活で、今日の講義で先生が仰っていられた様に、映画を深く理解する為にも様々な知識を得ていきたいと思います。

投稿: 大沢愛 | 2013年1月28日 (月) 19時47分

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