大晦日の文芸坐
大晦日の夕方、思い立って池袋の新文芸坐に行った。なぜかというと、朝日の石飛記者が今年の映画ナンバー1は『終の信託』だと言ったからだ。とりあえず、スクリーンで見ておきたいと思った。
ここは昔、文芸坐と名乗っていた頃、よく通った。劇場が3つあって、文芸坐、文芸地下、ル・ピリエという柱のある劇場の3つがあった。見逃した映画を2本立てでよく見たし、森一生特集なんかもル・ピリエで見た。そういえば、寺山修二の最後の公演は、ル・ピリエの『奴婢訓』だったと思う。
その頃は、3館とも汚く、妙な匂いがした。浮浪者が一日過ごすことも多く、時々「あー、つまんない」などと声が挙がったりした。ヤクザ映画を見ていると、客の半分がヤクザらしい出で立ちのこともあった。
一階の端には映画のパンフを売っている店があり、喫茶店もあった。この喫茶店で、買ったパンフレットを読みながらよく時間を過ごしたものだ。
周囲にはトルコやストリップや覗き部屋などがあって、歩くのも怖かったが、その感じは今もあって、池袋ミカド劇場は健在だった。劇場は1、2階はパチンコ屋になり、3階のみが映画館で1スクリーン。異臭はないし、客層も浮浪者やヤクザはいないが、大晦日ということもあって、私より年上の客ばかりだった。
で、『終の信託』は、予想を上回る出来だった。かつて並び称せられた黒沢清が良くも悪しくも同じ地点で映画を作っているのに比べて、周防正行はどんどん変貌している。安楽死という大きなテーマに、こんな正統的な方法で立ち向かい、シンプルだが濃密な映画空間を作りだしている。
向かいにいくつもの工場が見える川岸の流木に座る草刈民代と役所広司のまわりを、ぐるりと回るカメラの流麗さといったら。そして車に乗ってからの草刈の告白と役所の表情。
さらに追い打ちをかけるのが、検事役の大沢たかおによる草刈の取り調べ。時間がたち、草刈が自白に追い込まれる様子を、恐ろしいほどのサスペンスを保ちながら、優雅に描いている。
多くのことが言外にあり、それを省略しての精緻な会話劇に舌を巻いた。フィルムでしか撮りえない濃厚な映像を、フィルムで上映していたのも有難かった。また、「映画の肌理」を感じた。
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