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2013年1月31日 (木)

『海と大地』の描くシチリア

4月6日に公開されるイタリア映画『海と大陸』を見た。実は2011年のベネチアで見ていたが、あのシチリアの匂いを感じたくて、足を運んだ。監督のエマニュエレ・クリアレーゼはこの前に2本作っているが、どちらもイタリア映画祭で上映したので、私にとってはなじみが深い。



『グラツィアの島』(02)も『新世界』(06)も、シチリアの海が主人公のような映画だった。『グラツィアの島』はヴァレリア・ゴリーノ演じる母がシチリアの魔術的魅力を体現し、現代社会に逆らう話だった。そして『新世界』は、20世紀初頭にシチリアの人々がアメリカへ移民をする話を魔術的手法で描いていた。

さて今度はどう出るかと思ったら、シチリアの「魔術」をほとんど封印して、現代ヨーロッパの大問題である移民問題に正面からぶつかった作品だった。

舞台はリノーサ島という、『グラツィアの島』のランペドゥーサ島の隣り。どちらもシチリア島とチュニジアやリビアの中間にある。そこで代々漁業を営む一家が、そこに現れるアフリカ移民たちをめぐって右往左往する。

あくまで漁業を続けようとする祖父。長男は3年前に亡くなり、次男は観光業で暮らす。長男の嫁も息子と夏の間に旅館を始める。そうした流れに抗う祖父は、「海の掟」として、自分の船に流れ着いた移民たちを救おうとする。

その祖父の気持ちを継ぐのが長男の息子だ。前2作にも出ていた俳優が、いい感じの青年になって、相変わらず無鉄砲だが勇気ある姿を見せてくれて、何とも嬉しくなる。

シチリアの「魔術」は封印して、と書いたが、いっせいに若者たちが海に飛び込むショットや海の中のシーン、部屋の中に光る地球儀など、細部に魔術的な魅力は散りばめられている。だから映画を見ていると大変な場所だと思いつつも、一度行ってみたいと思ってしまう。

個人的には、母親役のドナテッラ・フィノッキアーロにやられた。この女優は最近のマルコ・ベロッキオの映画によく出ているが、黒髪で愁いを帯びた瞳がたまらない。そういえば同じ年のベネチアで、彼女が監督した45分のドキュメンタリー「往復」を見たが、シチリアのカターニャが80年代から90年代にかけていかに文化的に充実していたかを人々が回想するもので、なかなかいい感じだった。

監督のエマニュエレ・クリアレーゼは去年の東京国際映画祭に審査員で来ていたので少し話した。紳士的で、ずいぶん知的な印象を受けた。

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