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2013年2月12日 (火)

『アーティスト・ファイル2013』の物質感

最近の現代美術展がどうもピンとこなくなって、数年になる。特に若い作家を集めたものがダメだ。観客の参加型だったり、だらだらした日常を見せるものだったり、どうも苦手だ。そんな中で、国立新美術館で4月1日まで開催している『アーティスト・ファイル2013 現代の作家たち』が久しぶりにおもしろかった。

何が良かったかを一言で言うと、作品の物質感だろうか。あるいは、空間の中できちんとある世界を作り上げている造形力と言ったらいいのか。

一番心に残ったのは、ナリニ・マラニというインドの作家の立体作品。6つのプロジェクターから、動物や人間の殺人や戦争などの事件が走馬灯のように流れてくる。何だか宗教的で、座って見ていたら不思議な気持ちになった。ちょっとインドらしさが過剰で、エキゾチズムに訴えているような気がしたのは考え過ぎか。

国安孝昌の作品はたぶん1980年代から見ているけれど、レンガと木材を組み合わせた荒々しい造形空間はやはりインパクトがある。こうした作家が最近は減ったように思う。

そのほか、利部志穂の鉄を使った空間も独特のセンスを感じた。針金の色に至るまで、作家の神経が張り巡らされている。志賀理恵子の写真も、木枠に張り付けて土嚢に支えられて乱雑に立ち並ぶ展示が、東北の写真とうまく合っていたし、中澤英明の子供を描く連作も、チョン・ヨンドゥの子供の夢を撮った写真も、ダレン・アーモンドの写真や映像も、それぞれ確実に自分の世界を作っていた。

家に帰って、会場で配布されたパンフを見ていたら、作家の年齢が意外に高いことに気がついた。国安が自分より上(57年生まれ)というのはわかっていたが、ナリニ・マラニはさらに46年生まれ。中澤は55年。ここまでが私より上で、一番若い利部が81年生まれ。私が妙にシンパシーを感じたのは平均年齢の高さにあるのかもしれない。あるいは選んだ学芸員が私と同世代かも。

美術館という白い四角の空間では、現代美術はただ並べただけでは粗大ゴミになる。特に最近の美術館は広く、天上も高い。そこを生かし切る演出力が作家と学芸員に必要なのは、当たり前だと思うのだが。

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